掲載日:2006-12-25
「クリスマス?」
「うん、キリスト教っていう宗教の行事なの。日本ではただのイベントごとなんだけどね」
居間でお菓子をつまみながら話していたら、日本の行事に関する話題になった。お正月やお盆に続いてクリスマスについて話したら、フーガは興味を持ったようだ。
「日本は仏教や神道の国って言ってなかった? キリスト教って別の国の宗教?」
「うん、そんな感じ」
日本を一概に仏教や神道の国って言っていいものかわからないけど、間違っているわけじゃないし、いっか。
「日本にもキリスト教徒の人はいるけど、ほとんどはそうじゃないよ。クリスマスにプレゼントもらったり、ケーキもらったりするイベント」
あたしの家はプレゼントはくれないけど、ケーキならある。昔はお母さんが作ってくれたけど、今はあたしが作って一緒に食べる。
「誕生日みたいに?」
「んーちょっと違うかな。クリスマスはクリスマスの飾り付けや歌があるし……ああ、もともと宗教行事だからか、クリスマスには奇跡が起こるって言われているね」
そう言ったら、フーガは何か言いたげに口を開いてまた閉じた。
どうしたんだろう。
しばらくあたしから視線を外して、迷うようにアイスティーの入ったグラスを見つめる。
「――もしも奇跡が起こるなら」
再びあたしに視線を合わせたフーガが、ささやくように言葉を発した。
「なにを望む?」
……もしも奇跡が起こるなら?
突然、なんだろう。
そう思って首を傾げた途端、その質問の意図を理解した。
奇跡が起これば元の世界に帰ることができるかもしれない。
晴彦に、会うことができるかもしれない。
それを望むかと、フーガは聞いているのだ。
奇跡。
急にその言葉が輝きはじめた。
奇跡なんて言葉、ちょっとした憧れのある、遠い言葉だったのに。
今のあたしにとっては、どうしようもなくいとしく、狂おしいほどに求める言葉だ。
じっと、深緑の瞳を見つめる。静けさをたたえたその瞳の奥に、荒れ狂う激情が眠っていることを知っている。
フーガは何を思い、何を望み、何を堪えてこんな質問をするのだろうか。
もう指輪をはめていない左手で、ペンダントを握りしめる。
晴彦との繋がりを手放した手で、フーガからもらったものを握りしめる。
そう、あたしは選んだのだ。フーガを。この世界で生きることを。
「会いたいな」
それでも紡ぐ願いはこれ一つ。
「夢の中でいいから、晴彦に会いたい」
晴彦に会って、伝えたい言葉がある。
「会って、ごめんねって言いたいな」
晴彦よりも、フーガを選んだことを謝りたい。
そして、本当に大好きだったと叫びたい。
――「じゃあ、今は何を願うの?」
妙に耳に響いた言葉。
呆然とフーガを見つめた。
「今の君は、どんな奇跡を望んでいるの?」
微笑むフーガ。
風景が崩れるように消えて、目の前にいるのは揺らめくように儚いフーガの姿。
手を伸ばす。
けれどあたしの指は虚空を掴む。
悲しげに首を横に振るフーガ。
いとしい人。
「フーガに、もう一度会いたい」
そして、あたしは夢から覚めた。
***
暗闇の中、あたしはのろのろとベットから這い出る。
机の上に置いていた深緑のガラス玉のペンダントを手に取って、抱きしめた。
「フーガ」
声はかすれていたけど、静寂の中ではよく響く。
十二月二十四日。
いや、もう十二時を回っているだろうから、二十五日か。
クリスマスの晩。
クリスマスの奇跡。
あたしの望みは、フーガにもう一度会うこと。
きつくきつくペンダントを握りしめ、込み上げてくるものを耐えた。
それでも溢れて流れ出るものに、震えた。
奇跡という言葉を、憎んだこともあった。
あたしはフーガを選んだのに、帰ってきてしまった。
けれど、あたしが元の世界に帰ってきて初めてのクリスマス。
ささやかに訪れた奇跡は、あたしの胸を熱くする。
夢の中での儚い逢瀬。
それは虚しく、叫びだしたいほど心を裂くけれど、堪らない歓喜を呼び起こす。
フーガの夢はいつもいとしくて悲しい。
もう二度と会えないとわかっているから、切ない。
それでも夢で会えることはこんなにもうれしいのだ。
この奇跡はあなたにも届いただろうか。
あなたもあたしの夢を見てくれただろうか。
聖夜の奇跡に、あたしは声を上げて泣いた。
二十五日になってから、唐突に書き上げたクリスマス小説。
『たとえ二度と会えなくても』の後日談クリスマスですね。
ついでに言うなら、フーガとクリスマスに話しているシーンは、二人が想いを通わした後のことです。