真っ赤なリボンを結んだら

掲載日:2012-09-01

 真っ赤なリボンで髪を結う時は、私が落ち込んでいる時だ。落ち込んでいるからこそ、情熱の赤で気合いを入れる。病は気からって言うでしょ? ようは、私は元気だって思い込めればいいのよ。
 見ているだけでふつふつと元気が沸いてくるようなこれぞ赤って感じの原色の赤って、身に付けたりするには派手すぎるけど、まぁ人の目を気にしてもしかたないもんね。私がそれで元気だって思い込めるなら、充分だわ。
 今日も私の髪は、ぎゅっと真っ赤なリボンで結った。高い位置で大きめのリボンでひとつに結んだら、ちょっと、というかかなり子どもっぽいけど、気合いを入れる時はこれが一番好き。目が覚めた時から気分が沈んで沈んでどうしようもなかったけど、おかげで俯いていた顔をグッと上げることができた。うん、いい調子。
 真っ赤なリボンを結んだ自分を鏡に映しながら、ぱんっと頬を叩いてさらに気合い注入。そのまま指で頬をぐりぐりマッサージすれば、ほら、今度は笑顔も浮かべられるようになったでしょ?
 胸の奥でもやっとする感じとか、せり上がってくる涙の気配とか、大きな声で叫びたい衝動とか、笑顔を浮かべてみたらちょっとマシになるの。もちろん消えたわけじゃないんだけど、マシになるなら儲けものだよね。
 さぁ。笑顔になれたんだから出かけようか。服も靴も鞄も、全部今年買ったお気に入り。クールにコーディネートできたと思うの。去年よりはちょっぴり大人っぽくなったかな。ああでも、真っ赤なリボンで相殺か。まぁそれはご愛敬。
 この夏の私は、ちょっと痩せて茶色に染めた髪をくるくるっと巻いて、前よりお化粧が上手になって、服の趣味が前よりお姉さんになったの。それでも去年みたいに落ち込んだらポニーテールにして真っ赤なリボンをしちゃうところが、今の私。変わったけど変わらないところもあって、それはきっと大切なこと。あなたが今の私を見たら、なんて言うかな。
 お澄ましをして日傘を差して歩いていたら、そんな自分の姿が窓ガラスに映って思わず笑ってしまう。前は日焼けなんて気にしなかったのにね。でもさすがにそろそろ気にしないとなって日傘を買ってみたんだけど、なんだか変な感じ。それに持ち歩くのって面倒くさいね。世の女の子ってすごい。私が面倒くさがりなのかな。
 歩いてバスに乗ってまた歩いて、俯きそうになる度にぎゅっと日傘の柄を握りしめて顔をあげる。ひらひら揺れる真っ赤なリボンを意識したら、自然と背筋も伸びるのよ。すごいでしょ? 猫を見たら笑いかけて、犬を見ても笑いかけて、小鳥を見ても笑いかける。笑顔になるってとっても大事。あの人はいつもそう言って、泣きそうな時はかわいいものを見ればいいんだって教えてくれた。
 落ち込むのも泣いちゃうのも、それはそれでとっても大切だってわかっている。でもね、落ち込んだままであの人に会いに行きたくないの。泣き顔よりも、笑顔を見せたい。だってもうたくさん泣いたんだもの。これからだって、きっとたくさん泣くんだもの。だったら今日この日くらい、元気に笑顔であの人に「ひさしぶり!」って言いたいの。
 ほら見えてきた。あの人と私のお気に入りのお店。引っ越しちゃってからなかなか来れなくなっちゃったけど、ずっとずっと大切なその場所にドキドキしながら近付いた。
 ドアを開いたらカランと音がして、懐かしい声と香りが出迎えてくれる。ねぇマスター、私のこと覚えてる? そう聞いてみようかと思ったけど、私が言うより先に、カウンターにいたマスターが笑って「あいているよ」って優しく視線を私とあの人の指定席に向けた。
 お店の奥の、壁側の席。壁に掛かったひまわり畑の絵が私のお気に入りだったから、この店に来るといつもここに座る。赤も大好きだけど、ひまわりも好き。赤色と同じで、ひまわりを見ると元気にならない? 私はとっても元気になる。グッと太陽を見上げてるって素敵じゃない?
 マスターに笑顔で「ありがとう」って言って、私はお気に入りの指定席に座る。メニューが新しくなっていたから見てみたら、本日おすすめケーキが、私の好きなベリーミックスのタルトと、あの人の好きなベイレクトチーズケーキのブルーベリーソース添えで思わず笑った。もちろん、両方頼むわ。飲み物はどっちもミルクティーをホットで。夏でもそこは譲れないくらい、ここのホットのミルクティーは逸品なの。
 注文をしたらマスターは、確かめるように頷いてほほ笑んだ。そのほほ笑みに滲んだ寂しさには気がついたけど、ほほ笑んでくれたことがうれしくて私も笑う。
 きちんと座って前を見ても、そこには誰もいない。わかっているし知っている。それでも私はここに来たかった。だからこそ、マスターが寂しさよりもほほ笑みを選んでくれたことに救われる。そう。私は泣くためにここに来たんじゃない。あの人に会いに、――笑顔で会うために来たんだ。
 そっと目を閉じて、あの人を思い浮かべる。高校まで柔道部だったっていうだけあって、がっちりとした体格で筋肉もしっかりついてたのに、顔が童顔っていうアンバランスさにときめいたのが最初だったなぁ。あと声も好きだった。ちょっと低めだけど、ひとつひとつの音がとてもハッキリしてて、聞き取りやすかった。人の声とかうまく聞き取れなくて、よく聞き返しちゃう私だけど、あの人の声は聞き返す必要がないくてありがたかった。
 ああ、知り合ってから二年間で、たくさんの話をしたな。友だちの紹介で会うようになったって上手くいくわけないと思ってたけど、なんだか妙に話が楽しくて何度も会うようになったんだよね。趣味とかはあんまり被ってなかったけど、感じ方や見え方が妙にしっくりきたのかな? あの人が話してくれることは私の興味をひいて、私が話すことはあの人の興味をひいた。被っていなかった趣味が被るようになっていくのがおもしろかった。似たような感じ方の人が好きなものは、私も気に入ることって多いんだね。どんどん広がっていく世界にいつだって胸がときめいたの。あの人のおかげで習い始めた陶芸を、今でも私は続けていたりするのよ。
 思い出していたら胸がいっぱいになって、熱いものがこみ上げてくる。だめ。溢れてきちゃダメ。ここでは泣きたくないの。ここでは笑っていたいの。あの人との思い出を愛おしみたいの。
 おおきく深呼吸をしたところで、マスターが飲み物とケーキを持ってきてくれた。私にはベリーミックスのタルト。あの人の席には、ベイレクトチーズケーキのブルーベリーソース添え。もちろん両方に、ミルクティーも置いてくれる。ごゆっくりと優しい声に、私はやっぱり笑顔を向ける。ねぇ、本当にありがとうマスター。マスターの優しさのおかげで、泣きそうになっても笑うことができるのよ。
 ひとくちミルクティーを飲んで、ほっと息をつく。あったかなものが体の中からじんわりと広がって、幸せな気持ちになれるわ。タルトも食べると、酸っぱさと甘さが口いっぱいに広がってうれしくなるね。美味しいものを食べたり飲んだりしたら、元気になれるって素敵だわ。
 私が真っ赤なリボンで髪を結って初めてあの人会った日、ちょっと言葉を交わしただけであの人は私が落ち込んでいることに気がついて、このお店に連れてきてくれた。この店は美味しいから幸せな気分になれるぞって、幸せになれたら元気も出てくるぞって。赤いリボンが私の落ち込みのサインだってあの人には一度も言ったことがなかったけど、リボンのあるなしに関わらず、気がついてもらえて、おいしいものを食べようって手を引いてくれることがうれしかった。
 タルトを食べて、ミルクティーも飲み終わって、それでも目の前には手つかずのベイレクトチーズケーキとミルクティ−。あの人はいないのだから当たり前だ。おいしいケーキとミルクティーを残すのは嫌だから、私が食べる。あの人の分まで、おいしいものを食べる。そしたら倍に元気になれるかもしれないじゃない。
 素敵。本当に素敵。あの人を思って笑顔でありたいと、元気になりたいと思えることって、とっても素敵。悲しいけど悔しいけど、前を向かせてくれるだけのものをくれたあの人が、とてもすごいと思う。出会えてよかった。好きになった自分を褒めたい。好きになってくれたあの人にありがとうを言いたい。

「――ありがとう」

 そっと、つぶやく。大切な想いを、そっと、噛みしめる。
 ありがとう。ありがとう。あなたを想って泣いてしまうことがあるけれど、それ以上にたくさん笑って、たくさん元気になって、たくさんありがとうをあなたに向かって届けるの。

 ねぇだけど、ひとつだけ欲を言うなら、私はもっとあなたと一緒にたくさんの時間を過ごしたかったよ。


 笑顔で、元気でありたいと思えることは素敵。

inserted by FC2 system