私達はこれからだ

掲載日:2006-08-23


「やあ、ひさしぶり」
 そいつはそう言って笑った。

 ***

 私は一人でぶらぶらと町中を歩いていた。この春から晴れて大学一年になったけどサークルにはまだ入っていないし、バイトも今日はない。つまり暇だ。なので映画でも見ようと家を出たのだが前方にから見覚えのある奴が歩いてきた。そいつは女の子と一緒。邪魔しちゃ悪いと思って声をかけずに通り過ぎようとした。
 なのに、だ。わざわざ向こうから私に声をかけてきた。仕方がないので私は立ち止まる。
「ひさしぶり」
 確か去年の十月以来だ。今は五月。約七カ月ぶりか。
 こいつと私は腐れ縁で小学四年からの知り合い。ただし一度も同じ学校などになったことはない。家だってどこにあるかはっきりとは知らないし、塾や習い事で同じだったこともない。だから、幼なじみではなく腐れ縁。
 奴はさらに私に話しかける。
「澪ちゃん、積もる話もあるしどっかでお茶しない?」
 笑顔でそんなことを言わないでほしい。隣にいる女の子は彼女じゃないのか。
「やめとくわ。デートの邪魔なんて野暮なことしないわよ」
「デートじゃないよ。買い物に付き合っただけ。それにもう終わったよ」
 さり気に残酷だ。今まで不安そうに私達を交互に見ていた女の子の顔が、一気に青ざめた。女の子は唇を噛んでうつむいてしまい、泣くのではないかと私ははらはらした。しかし私の予想は外れ、女の子は顔を上げると微笑んで奴を見た。
「岸本くん、私はこれで帰る。今日は付き合ってくれてどうもありがとう。今度なにかの形でお礼するわ」
「気にしなくていいよ。あんまり役に立てなくてごめんね」
「そんなことないわ。きっとお父さん喜ぶよ。じゃあ、また明日」
 私にも視線を向け、軽くお辞儀をして私達から小走で離れていった。健気だ。私も見習わなくては。
「あんた、ありゃ可哀想すぎ。あの子あんたのこと好きなんでしょ?」
「そうみたいだね。でも僕はそういった好意は持ってないよ」
 でしょうね。じゃなきゃ私なんかに声かけなかったでしょうよ。なんだか気が抜ける。ひとまず私達は近くのカフェに入って腰を落ち着けた。
「でも、なんで買い物に付き合ってあげたのよ。期待させるだけさせといて、あれはきついよ」
 頼んだ私のチーズケーキと、奴のあんみつが運ばれたので少し話が途切れる。
「……父親の誕生日プレゼントを買うのに、付き合ってって言われたんだけどさ」
 そんな古典的なデートの申し込みが、まだ存在するのか。
「俺は単なる口実と思って、去年とか今までのプレゼントはなにあげたんだって聞いたら、ちゃんと答えたんだよ。だから、プレゼントはホントなんだって思ったら、ついついOKしちゃったんだ」
 ついついで期待させんなよ。
「だったら最後まで付き合ってあげなさいよ」
「そのつもりだったけど、澪ちゃんに久しぶりに会えたんだ。いろいろ話したかったんだよ」
 そりゃ、私だって話したいことはいっぱいある。今回はびっくりな情報も携えているし。
 携帯の番号を教えてほしいと言われたから、私は携帯を取り出して番号を表示すると奴に渡した。奴がそれを自分の携帯に入力している間に奴の器から勝手に白玉団子を奪って口にほうりこむ。奴は特に気にも止めずに入力を続行し、私の携帯に自分の番号をメールで送っていた。前から携帯は持っていたけど、いつも忘れていて番号の交換をしていなかったな。これでいつでも連絡がとれるのか。
 こいつとは、家の近くの人気のなくなった時間帯の公園で出会った。当時小学二年生だった私は友達の家から帰る途中に公園を通り抜けようと入った時、たまたま鉄棒に向かう奴を発見した。一人で必死に逆上がりの練習をしているのを、私はぼんやりと見つめていたが、そのうち何度やってもできないそいつにイライラして声をかけたのが始まりだ。
 こいつは幼稚園から大学と、ずっと私立の学校に通っているため、私とは全く接点がなかった。初めは見知らぬ女の子に逆上がりを教えてもらうのに反発を覚えていたようだが、こちらがアドバイスすると素直に聞いてくれた。うれしくて、毎日こいつに会いに公園に行って一緒に練習をした。二週間ほどで逆上がりはできるようになったのだが、あの時は二人で大喜びした。
 逆上がりができるようになってからは、公園で会うことはなくなったが、道端で会うと話をするようになった。一応は同じ校区内に住んでいるし、会うことがあっても不思議でない。だからといって、会う度に言葉を交わすわけでもない。目が合ってもタイミングが掴めなかったり、友達といたりして話しかけなかったり、向こうが(または私が)気が付かなかったりもした。それでも、かれこれ九年も付き合いが続いたのはすごい。高校受験、大学受験、好きな人に告白しようか迷ってたとき、彼氏と別れて落ち込んでいた時など、結構ばったりと会って相談やらなんやらをする。
 ああ、本当に腐れ縁。
「そういえば澪ちゃんは、大学どこに行ってるの?」
 ……ああ!
 待ってましたその質問!
 びっくり情報の公開だ!
「M大学」
 私はさらりと爆弾を落とす。
「……」
「……」
「……」
 奴の動きが止まった。
 追い打ちをかける。
「だから、M大学に通ってるのよ」
「それはつまり……」
 復活したようだ。
「僕と同じの大学に?」
 大当たり。
 まさかいくら学部が違うからって、大学内で一度も会わないなんて思わなかった。でも一つくらい同じ共通科目を受けていてもいいんだけど。
「去年、国公立に行くっていてなかった?」
 確かに言った。
「でもM大学は近いし、私のやりたい学科が充実してたんだもの。あんたの行く大学がどんなんかと思ってパンフレット取り寄せたら一目ぼれしたのよ」
 こいつはさっきも言ったが幼稚園から大学までエスカレーターで来ている。成績も悪くないし、楽々で大学に入たっような奴だ。私はめちゃ頑張ったのに。
「何で言ってくれなかったんだよ」
 恨めしそうに睨まれた。
「だって大学決めてから一度もあんたと会わなかったじゃない」
「そりゃそうだけど……」
 ため息をついて、奴は脱力する。
「今度さ、大学内で会おうよ。ああ、一緒にお昼食べる? あんたと約束して会ったことないから楽しそう」
「そういえばそうだねぇ。うん、明日」
 さっそく明日かい。
 それにしてもいまだ不思議だ。私とこいつは同じ学校に通ったことがないし、大学でも会ったことがない。すぐに切れそうな縁で今まで付き合ってきたのに、これからはこんな偶然を頼りにではなく会おうと思えばいくらでも会えるかもしれない。
 なんだか嬉しいじゃないか。ってか、本当は入学式から、いや入試のときからこいつに会えるかもしれないとそわそわしていたんだ。まあ、会えなかったけどさ。
 まさか好きとか? あーまあどっちでもいいけど。
 そういや高三の時に彼氏と別れたのって、こいつが原因だった。たまたま私がこいつとこんなふうに会ってふたりっきりで話してたのを運悪く彼氏に見られてたんだ。しかも私はとっても楽しそうだったらしく、彼はいたくショックを受けて次の日に振られた。一応、必死で弁解したんだがそれでも駄目だった。「俺と一緒にいる時あんな楽しそうな顔見たことなかった」ってさ。
 もういいんだけどさ。昔の話さ。でも、振られてめちゃくちゃ落ち込んでる時にもまたこいつに会って慰められたんだよね。原因はこいつだったから、結構冷たくあったったのに。もちろん振られた理由は言わなかったがけどさ。泣いて泣いて、思いっきりこいつを無視したりもしたんだけど、ずっと泣き止むまでそばにいてくれて。ちょっと感動したな。
 ――ん?
 なんで思い出してドキドキするんだろう。こいつのせいで別れたのに。でもそれってあまりに単純。傷心の時に優しくされたからドキドキするなんて。いやいや、これは恋愛感情じゃないわ。確かにいい奴だと思うけど、イコールそれが恋ってわけじゃないもの。
 うん、この件は保留。
「そういえば澪ちゃんは何学部なの?」
「文学部史学科。専攻は西洋史を取るつもり」
 元々は日本史希望だったけど、三年の夏辺りに近代のドイツにはまった。で、M大学にはちょうど私の興味のある分野を研究している先生がいたからこっちに決めた。
「僕は法学部だからなぁ。まあ、今まで会えなかったとしても仕方ないかな」
「あんたも一般教養いろいろ取ってるでしょ。その辺の講座で会えると思ってたのよ」
「明日は英語Tを取ってるよ」
「私は明日はドイツ語。英語は水曜日にあるやつ取ってるわ」
「ふーん残念。サークルは入らないの?」
 ああ、こいつはサークルに入ってたな。さっきの女の子もサークルつながりって言ってたし。どこに入ってるんだろう。
「あたしは入らない。面倒だし。あんたはどこに入ってるの?」
「美術部」
 美術部か。というかサークルじゃなくて部なのか。あたしは描くのは面倒だけど見るのは結構好きだな。ヴィーナスの絵はとってもきれいでポストカード買っちゃったくらいだし。こいつはどんな絵描くんだろう。今度見せてもらおう。
「ねぇ澪ちゃん」
 にっこりと奴は笑った。
「今度絵のモデルして」
「嫌」
 即答。なにを言い出すんだこいつ。そしてそんな悲しそうな顔をしないでほしい。
「じゃあ付き合おう」
 じゃあってなんだよ。どこからそんな言葉が出てくる。
「却下」
 私は当然断言する。
「えー」
 えーじゃねえよ。
「僕は澪ちゃんのこと好きだよ」
 ああそう。
「澪ちゃんが彼氏と別れたの僕のせいなんだってね」
 へ?
「塾の友達がたまたま彼氏くんの友達でね、教えてもらったんだ」
「いつ」
「落ち込んでた澪ちゃんと会った後」
 ……まあ、知られて困ることではないか。
「で、僕は澪ちゃんのこと好きだから、罪悪感もあったけど嬉しかったな」
 人の不幸を嬉しがるな。だいたいさっきから人のことを好き好きって言ってるけどこれって告白? それともバカ? からかってんのか?
「それはよかったね」
 なので私は適当に相槌を打った。
「僕は本気だよ」
 ニコニコしたまま、けれど嫌に真剣に奴は言う。いつの間にか食べ終わったあんみつの容器を押しのけて、まっすぐと私を見ている。さすがに動揺した。不覚にも鼓動が速まっている。
「澪ちゃんとはたまにしか会えないけど会えたら本当に嬉しいし、会えなくてもいつも澪ちゃんに会えたらなぁって考えてたんだ。好きだって自覚したのは彼氏ができたって嬉しそうに報告された時かな。かなりショックで、どうして僕は澪ちゃんと同じ高校にいないんだろうって思ったね」
 ショックを受けていたようには見えなかったけど。普通に「よかったね」って祝福してくれた気がする。ああでも次に会った時に彼氏からメールがきたら、不機嫌っぽかったな。私は暑いから不機嫌なんだと思って喫茶店に入ろうと誘ったはずだ。
「澪ちゃんに会えた嬉しさで、いつも携帯の番号を教えてもらうのも忘れていたから連絡取れないし。運に身をまかすしかないってつらかったよ」
 そこまで言うと奴はニッと笑った。
「でもこれからはいつでも会えるね」
 携帯を取り出し教えたばかりの私の番号を表示する。
「しかも同じ大学だし」
 そりゃそうだけど。
「澪ちゃん自ら僕の所に来てくれたんだね」
 なんだよそれ。
「僕、澪ちゃんの行く大学に変更しようかと大分迷ったんだけど、やりたいことがあったから断念したんだ。そしたら、澪ちゃんがわざわざ僕がいるって知ってて来てくれた」
「べつにあんたのためじゃない」
 投げやりに言うと、奴はニヤッと笑う。嫌な奴だ。
「今日から僕、遠慮しないから覚悟してね」
 最高の笑顔での宣戦布告。
 やってやろうじゃないか。あんたに私を落とせるか。……時間の問題だろうけど。けど、簡単には受け入れないからね。

 さあ、私達はこれからだ。


 この作品は、こういう軽いノリで偶然が頼りな腐れ縁が書きたかったんです。なので、締めがまったく思いつかなかった。ずっと前に途中まで書いて、結末がなかったんですね。最終的には苦肉の作として奴に告白させたんですが。って奴は名なしさんですか。

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