たとえ二度と会えなくても 3

掲載日:2011-10-09

 街は活気に満ちていた。既に見慣れたはず街並みは、その姿を一新してしまっている。家の窓から垂れる綺麗な布や花飾り。通りいっぱいの屋台。普段は見ない大道芸の人達。華やかに着飾った踊り子。眩暈がしそうなほどに溢れだした人々。
 今日から三日間、アーリシアではお祭りが行なわれる。その名も『海神姫の祭典』。港町として海に深い関係を持つアーリシアでは、年に一度、海の守り神である海神姫へ感謝と敬意を込めて祭典を催す。海神姫は楽しい事が大好きといわれているため、祭典も盛大。街の人間だけじゃなく、他の地域の人や他国の観光客も膨れ上がるこの祭典は、ディルレイラ国でも一、二を争うほどに有名らしい。
「それにしても、ラサエルさんはおもしろい人ね」
 お祭りに繰り出したあたしは、隣を歩くフーガに言った。
「義兄さんも久しぶりに姉さんに会えてうれしいんだろうね。しかも、新しい家族がいたんだからうれしさは倍増だったと思うよ」
 ラサエルさんはリザさんの夫だ。貿易の仕事で、一年の大半を海の上で過ごすラサエルさんは、『海神姫の祭典』に合わせて帰ってきた。一ヶ月とせずにまた仕事に出てしまうらしいけど、今日はリザさんと二人でお祭りを楽しんでいる。
 ラサエルさんが帰ってきた時、家にはあたししかいなかった。大男で迫力のある人が、いきなり家に入ってきたから怖くてパニックになりかけたけど、大男は目が合うと、「君がカナエかい?」と満面の笑顔を向けてきたのだ。頷くあたしに、「俺はラサエル・ハイスン。リザの夫だ。リザはどこだ?」と握手を求めてきつつ、目はリザさんのことを探していたのがなんだかかわいかった。その日は友達の家にお呼ばれしていたのでそう言うと、「じゃあ俺は新しい家族と一緒に、飯を食いにいこう」とおいしい魚料理をおごってもらったのだ。
「ラサエルさんがあたしを家族だって言ってくれて、うれしい。外見はちょっと怖いけど、いい人よね」
「子供好きなんだけど、子供は義兄さんのことを怖がるんだ。だからよく落ち込んでるよ」
 フーガは苦笑い。あたしも、ラサエルさんが子供達に泣かれて落ち込む姿が目に浮かんで、笑ってしまった。
「でも、たくさんの人に慕われそう」
「うん、仕事の仲間はもちろん、この街の人もラサエルさんを慕っている人はたくさんいるよ。度量があって快活で、責任感も強いし、本当にいい人なんだ」
 そんなことを話しながらあたし達は通りを練り歩く。屋台で売っているいろいろな地域や国の食べ物を食べあさって、珍しいものを見る。パレードや舞台も見物だった。
「あっち、なんかさらに人が集まってない?」
 左の横道にそれた通りは、人の密集度が跳ね上がっていた。
「ああ、あそこは特に名物なんだ」
 そう言いながら、フーガさんは財布につけていた飾りを示す。蒼い輝きを持ったガラス玉が、ゆらゆらゆれる。
「きれいだね。さっきから気になってたの」
 深い蒼の輝きは、朝日に輝く海のようだった。
「これは『海神姫の涙』っていうんだ。アーリシアの伝統的なガラス玉だよ。ガラス工芸自体がアーリシアの名産なんだけど、この蒼を出したガラス細工は『海神姫の涙』と言われていて、お守りとして人気なんだ」
「お守り?」
 ガラス玉は綺麗だけど、それがどうしてお守りになるのだろうか。その疑問に、フーガは柔らかく笑って答えてくれた。
「ある時、海が荒れて沈んでしまった船があるんだ。船員は海に放り出されてしまった。その中に、海の色をしたガラス玉のペンダントを持った男がいたんだ。そのペンダントは、ガラス職人の弟が航海の前に、ちゃんと帰ってこいよという願いを込めて渡したものだった。男は海の中に沈んでしまったけど、美しい輝きに海神姫が引き寄せられて、そのガラス玉と引き換えに男を助けたんだって。だから、このガラス玉を持っていると、海神姫が助けてくれるって言い伝えられているから、航海や旅のお守りとして人気なんだよ」
「なんで『海神姫の涙』って名前なの?」
 『涙』とは関係ないじゃん。
「弟が作ったガラス玉は雫の形をしていたっていう言い伝えや、海神姫は男を助けようと陸につれて行ったけど、間に合わず息絶えてしまって泣いたからっていう言い伝えがあるよ」
 後者なら、男は死んでるじゃないか。それでもお守りになるのだろうか。まあ、こういうのは深く考えないほうがいいね。
「あたしも見てきていい?」
 尋ねるとフーガは笑って頷いたので、あたし達は更なる人ごみの中に身を投じた。露店に並ぶガラス工芸品は、アクセサリーや置物など色々あった。蒼の他にも赤や緑、黄色やオレンジもあって綺麗だ。安いものでもちょっと高めだけど、一つくらい記念に買おうかな。仕事は順調だし、リザさんの所に居候費を入れてもお金に余裕があるし。
 買う、と決めればあたしも真剣に品物を見る。指輪。ペンダント。ブレスレット。あ、あのランプも綺麗だな。
「……あ」
 吸い寄せられるように、一つのペンダントが目に止まった。人をかき分けて、そのペンダントの前に陣取り、じっくりと観察する。丸い緑色のガラス。『海神姫の涙』といわれる蒼いガラスではないけど、あたしはそのペンダントが気に入った。
「カナエ、なにか気に入ったのがあった?」
 声をかけられたので、あたしはフーガを仰ぎ見る。深い深い緑色。森のような深緑の瞳。そしてもう一度ペンダントに視線を落とす。深い深い緑色。フーガの瞳のような深緑のガラス。
「うん、これを買う。おじさん、これお願いします」
 さっそくお店の人に声をかけた。おじさんは、お祭りの活気のままに明るく応対してくれる。
「この緑のペンダントでいいかい? 八〇〇シェンだよ。まいどあり!」
 あたしは財布を取り出そうとした。が、それより早くフーガがおじさんに八〇〇シェンを手渡していた。
「ふ、フーガ! いいよ、自分で払うよ!」
 叫んだけど、フーガは取り合ってはくれず、おじさんもニヤニヤと笑って、フーガからお金を受け取るとあたしにペンダントをいれた袋をくれた。
「お嬢ちゃん、男の親切は受けるもんだよ」
 そんなこと言われても、決して安くはないのだ。これが、屋台で買った食べ物とかならありがたくいただくけど……。
「そうだよ、親切は受けてね」
 フーガもにっこりと笑って、あたしからお金を受け取る事を拒否する。これは拒否は許さない笑顔だな。
「……ありがとう。大切にするね」
 意外と強情なフーガだし仕方がない。まるで晴彦に無理やりペアリングを買った時のあたしみたいな強引さだな。
 ペンダントの入った袋を大切にかばんに直したあたしは、このガラスと同じ、深緑の色をしたフーガの瞳に笑顔を向けた。深緑のガラス。フーガの瞳と同じ色。だから惹かれた。だから欲しかった。
 左手の銀の輝きに視線を落とす。あたしは晴彦が好きフーガを、晴彦の代わりになんてしちゃいけない。わかっているけど、買うと言ったあたしの心はどこにある?
 リザさんの家に向けて歩き出したフーガの背中を追って、あたしは歩き出した。

     ***

 散々駄々をこねて晴彦を家から連れ出した。目的の美術展も見に行けたし、あたし達はぶらぶらと町を歩く。どうして晴彦は出不精なんだろうな。付き合いはじめて半年が過ぎたのに、二人で出かけたのは今日で数回目。いつもあたしが強引に連れ出している。
 週に三日は晴彦が図書委員だから下校時刻まで図書室にいるし、休日は会ったり会わなかったり。会っても、どちらかの家で本を読んだりビデオを見たり。こういう付き合いは穏やかで大好きだけど、あたしだって花の女子高生。たまにはデートがしたいと思うのよ。
 今日の美術展は、前に晴彦がこの画家の画集を見ていたから誘ったのだ。なのに、わざわざ電車に乗って見に行くのは気が進まなかったらしい。なんとか口説いてデートに出かけたけど、行ったら行ったで晴彦は楽しそうに展示を満喫していた。ポストカードを十枚買っていたしね。彼は行くまでは嫌がるけど、行ってしまえば楽しむタイプだ。だから無理やりにでも連れ出すことにしている。
「観に行ってよかったな」
 そんなご機嫌な晴彦に、うれしくなった。普段ならこんな風にぶらぶらするのには付き合ってくれないのに、今日は文句も言わずに付き合ってくれる。
 あたしは地面に商品を広げた露天が気になって、歩くペースを落として眺めていた。だけど晴彦は苦手らしく、足早に過ぎてしまおうとする。がっちりとあたしが腕を掴んでいたから、すぐに諦めてペースを合わせてくれたけどね。
「お姉さん、ペアリングとかどう?」
 商品を広げたお兄さんに声をかけられた。ちょうど、銀細工のアクセサリーを並べるお兄さんの店が気になっていたから足を止める。
「この辺の指輪がペアになってるよ」
 そう勧めてくれたところで別のお客さんがお兄さんに話しかけたので、のんびり自由に商品を眺めることにした。
「……買わないぞ」
 低く、晴彦は釘を刺した。
「欲しいなら、ペアじゃなくて自分のだけ買え」
 もう、恥ずかしがり屋なんだから。あたしは聞こえなかったフリをして、ペアリングを手に取る。細めでシンプルな銀の指輪。そして、内側に書かれた「I was able to meet you. 」。あなたに会えた、の文字。これがいい。晴彦に会えてよかったって、伝えられるもの。あたしは無理やり晴彦の手をとって、左手の薬指にはめた。うん、ぴったり。
「これください」
 お兄さんに声をかけて、勝手に晴彦の分を買った。これには晴彦も驚いたようだ。
「わかった、買うから! だから自分で払う!」
 慌てる晴彦に、お兄さんも笑っている。あたしはもう一つのペアになっている指輪を、自分の指にはめた。
「これもください」
 笑顔のあたしを見て、晴彦は意図を了解したらしい。ちょっと不満げな顔をしながらも、あたしの分のお金を払ってくれた。
「お互いで指輪を贈り合うって、素敵でしょ?」
 かなり強引だったから、さすがに怒られるかなと思って、わざと明るく言った。狙い通り、悪びれないあたしの笑顔に晴彦はため息をつく。そして、苦笑。それに励まされて、陽の光に指輪をかざしながら晴彦の顔を覗き込む。
「ありがとね」
「こちらこそ」
 その日から、あたしの左手の薬指には銀の輝きが宿った。晴彦は指にはめるのは嫌がって、チェーンを通して首からかけている。だけどちゃんと身に付けてくれるから、よしとしよう。

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