恋のキューピット

掲載日:2008-09-26

「どうしよう……」
 ここ一週間、数えるのも面倒なくらい投げかけられた言葉だ。特に、目の前で私の机に突っ伏す相模がその筆頭。休み時間のたびに私の前の席に陣取り、泣き言や相談を垂れ流す。立場上、仕方がないから大人しく話を聞いているんだけど、友達と話すこともできないのは正直うんざりしてる。
 相模と私は、クラスメイトであり同じ野球部の部員だ。私はマネージャーで、相模は外野手。三年生が引退した今では、二年の私たちが部の中心となっている。部員数は二十人ほどで、公式戦でも一回戦かニ回戦敗退の多い強くも弱くもないチームだけど、みんながんばって練習しているし、人数が少ない分けっこう全体的に仲が良くて楽しい。
 けれど、そんなチームに爆弾を落とした奴がいる。目の前のこいつだ。

 そもそもの発端は一週間前の放課後。守備練が終わって休憩に入った時だった。
 マネージャーは、私と一年生の琴ちゃんだけだから、休憩に入ったら手分けしてタオルと飲み物を配り歩く。私はいつも気を使って、相模に飲み物を渡す役目は琴ちゃんに回していた。琴ちゃんが相模のことを好きだったのは周知の事実だったし、相模も同じ。知らぬは当人ばかりという状態だったから、そのうち付き合いだすだろうと部員は影ながら見守っていた。
 のに、だ。相模は信じられないことをした。笑顔で飲み物を渡した琴ちゃんをコップも受け取らずにじっと見つめたかと思うと、おもむろに腕を引いて唇を奪ったのだ。
 ……その時の沈黙は、思い出すだけでも恐ろしい。部員はみんな無言。私も頭が真っ白。琴ちゃんは完全にフリーズしていた。
 そして、琴ちゃんの手からコップが落下し相模のズボンがミネラルウォーターまみれになってから、やっと相模は我に返って琴ちゃんを開放したのだった。
 相模は自分で自分の行動にびっくりしたような表情を浮かべていたけど、琴ちゃんは違う。フリーズ解除されると「あ、あの、わ、たし、タオル取ってきますねっ」と、すぐさまグラウンドから去っていった。その手には相模に渡すはずだった新しいタオルを握り締めていたのに、タオルを言い訳にする姿はなんだかとても痛々しかった。
 ひとまずこの場は主将に預けて、私は琴ちゃんを追いかけた。中庭で捕まえた時には、琴ちゃんの顔は真っ赤で、思いっきり涙に濡れていた。
「せん、ぱい……。どうしよう」
 よく考えれば「どうしよう」のセリフを最初に言ったのは琴ちゃんだ。
 まあ、いくら相模のことが好きでも、みんなの前でいきなりキスされたのはショックだろう。しかも二人は付き合ってないし。
「……相模のこと、嫌いになった?」
 出てきた言葉はそんなものだった。何を言っていいか分からなかったにしても、別に言わなくちゃいけないことがたくさんあるだろうにと反省する。でも琴ちゃんは、強く首を横に振った。
「好きだからどうしていいか分からないんです……」
 顔を覆って、その場にしゃがみ込んでしまった琴ちゃんの頭を撫でながら、私は必死に言葉を探した。でも、何も言えなくて泣き止むまで頭を撫でていた。
「すみません……。今日は早退させてください。明日の朝練には、ちゃんと行きます。明日にはいつも通りになりますから、今日は……」
 早退なんてお安い御用だ。このままグラウンドに戻るのは嫌すぎだろう。今頃はあっちでも、主将が相模を怒鳴りつけているはずだ。
 正直、今日はもう部活にならないと思う。だから気にせず早退してくれてかまわないと告げると、琴ちゃんは真っ赤な目で私を見つめ、「ありがとうございます」と言って去っていった。その後姿を見送りながら、口では朝練に来ると言っていたけどさすがに無理だろうなと思っていた。
 けど、琴ちゃんは来た。いつもの笑顔で。部員全員がびっくりしているのを鮮やかにスルーして、何事もなかったかのようにマネージャーの仕事をこなしていった。
 ただ一つ違ったのは、相模と目を合わせようとしないこと。飲み物やタオルを渡したり、練習試合の相手校のデータの確認をしたりと、マネージャーとしての用件は相模相手にもきっちりする。でも、目を合わせないし、用件が終わればすぐに立ち去る。相模が何か言おうとしても、聞こえなかったフリをするなり会話を断ち切るなどして、逃げる。
 さすがに、部の空気は日に日に重くなっていった。元気が取り得のような相模が落ち込むだけでもうっとうしいのに、二人の緊張感にまわりも気まずくなって、本当にうんざりする。
 部員は、相模のクラスメイトで琴ちゃんの先輩である私のところに「どうにかしてくれ」と言ってくるし、相模は休み時間のたびに泣き言を言ってくるし、琴ちゃんは本当にすまなさそうに「私のせいで雰囲気悪くしてごめんなさい」と落ち込んでいるし……。私もどうしていいか分かんないって。
 一方相模のほうは、何度も謝ろうとはしているけど、話ができないのでいまだ達成できていない。そもそも、なんでいきなりキスなんかしたのかと聞いたら、「だって可愛くて、気がついたらしてたんだよ」と返してきた。アホかこいつと思った。居合わせた主将がノートで思いっきり殴ってくれなかったら、見捨てたかもしれない。
 あぁ、どうにかして二人が会話をする機会を設けなくては。

「相模」
 目の前で机に突っ伏していた相模が、顔を上げて私を見……うわっ、ちょっと近い。近いって。なんで私が体を後ろに引かないとだめなんだよ。近づくな。
「あーもうっ! アンタ琴ちゃんと話す機会を作ったら、ちゃんと謝って告って、絶交されるなりフラれるなり付き合うなりして丸く収めてくれるの!?」
 苛立ちが爆発して怒鳴りつけてしまった。
「は? そりゃ話す機会があれば……。ってか絶交とかフラれるとか不吉なこと言うなよ!」
「っさいわね。いい加減うっとうしいのよ! 当たって砕けてきなさい。で、ひとまずスーパーにでも行って手作りチョコセットでも買ってきなさい」
 相模は思いっきり「何言ってんだ」という顔をした。
「だーかーらー、手作りのお菓子キット! チョコでもクッキーでもケーキでも、自分が作れそうなものを買ってくるの。今はバレンタイン時期だから、種類も豊富だし簡単に買える」
「いや、だからなんでそんなもんを買うんだ?」
「バレンタインに、アンタが琴ちゃんにチョコあげるのよ」
「……逆じゃね?」
「別にいいじゃない。想いを伝える日に、男も女も関係ないわよ」
「いや、でも手作りって」
「そのくらいの気持ち込めないと、アンタの誠意が伝わらないかもしれないでしょ!」
「そういう、もん?」
「知らないわよ!」
 ともかく私は、今日の帰りにでも手作りお菓子キットを買ってくるように厳命しておいた。

 ***

 寒空の下で部員たちが練習に打ち込む中、私と琴ちゃんは給湯室でドリンクを作っていた。
「琴ちゃんはさ、バレンタインに何あげるか決めた?」
 野球部マネージャーは、代々バレンタインに部員全員へ義理チョコをあげるという風習がある。ついでに、部員やマネージャーの人数によって変化はあるが、部費から資金提供もされる。今年は二人だけだから、二千円ずつ支給があってラッキーな年だ。
「チョコレートのカップケーキにします。お腹の足しになりますし」
 ……私は、義理であろうとバレンタインの贈り物を「お腹の足し」になるかという基準で考える琴ちゃんが好きだ。
「先輩はどうするんですか?」
「あー去年はトリュフだったし、クッキーにする」
 私はお菓子作りとかは得意ではないので、簡単めのものを作りたい。前はクッキーでも失敗したけど、最近は成功率が高いからクッキーを選んだ。去年はバレンタインだしと思ってトリュフにしたけど、あれはキットを買って作ったので簡単だった。
 もっとも、別に手作りで作らなければならないと決まっているわけではない。人数分揃えるならそっちのほうが安くつくというだけだ。
 事実、去年先輩はバレンタイン商品を買って渡していた。栄養ドリンクやラーメンカップに入ったものといった、バレンタインの時期になると大量に並ぶお遊び感の漂う商品たち。あれは意外と高いから、人数分揃えたら予算オーバーだったらしいけど、調子に乗った先輩達は嬉々として自腹をきっていた。
「本命にはぁ?」
 なんでもない口調のままで、ズバっと斬りこんだ。
「……あげません」
 視線をあらぬ方向に向ける琴ちゃん。
「仲直りするきっかけじゃん。悪いのはアイツだけど、そろそろまともに話してもいいんじゃない?」
「わ、わかってます、けど……、相模先輩を前にすると、その、逃げ出したくなって……」
「だからって、このままじゃ他の女に取られるかもよ」
 気持ちは分かるが、両思いなのだからそろそろ決着をつけてほしい。
「……相模先輩、地味にモテてますもんね」
 地味にって、褒め言葉か?
「バレンタインに本命チョコを一つか二つはもらっちゃう程度にはモテてるわね」
 相模とは小学生の時からの腐れ縁。実は、アイツの彼女と間違われて因縁をつけられたこともある。しかも本人ではなく、その友人が勝手に気を回して。その後、本人さんからものすごく謝られた。
「あ、の」
 急に琴ちゃんがソワソワしだした。
「せ、先輩は相模先輩と幼馴染なんですよね」
「そだよ」
「す、好き、とか、その」
 ああ、もしかして琴ちゃんはそんなことを心配していたのだろうか。そりゃ私達は幼馴染で、恋の相談にも乗るくらいには仲がいい。でもそこに恋愛感情は一切ない。小学生くらいの時にはあったかもだが、中学二年の時からは確実にない。
 ……ん? でも琴ちゃんったら自分が相模を好きなことって、私にはあんまり隠さなかったよな。私が相模のこと好きなのかもと思いながらそんなことして牽制かけてたなら、けっこうたくましい。
「私って彼氏いるんだよ?」
「……。ええっ!?」
 一瞬沈黙してから驚いてくれた。そうか、知らなかったのか。
「あーN大付属高あるじゃん? 強豪校の。そこで内野手してるよ」
 続いて名前も伝えたら、琴ちゃんはマジでビビってくれたようだ。
「って、え? ちょ、それって、えー!」
 まあ、正直この地区で野球やってれば、名前くらい知ってる有名人だしね。去年、惜しくも敗れた地区大会の決勝の時もベンチ入りしてた。さすがに控えだったけど、何度か代打で出て、ホームランまで打ってた。
「先輩ってすごい人と知り合い……ってか付き合ってるんですね」
「中学一緒だったからね。じゃあさ、アイツが相模と友達ってのも知らない?」
「し、知りません。友達なんですか!」
「まあね。相模は部活で、アイツはシニアでやってたから一緒にプレーしたわけじゃないけど、学校では一番仲良かったよ。相模経由で私も知り合ったの」
「意外ですっ」
 私も意外だ。正直、あの頃はそんなすごい人とは思ってなかった。たんに野球の話題でまともに会話をしてくれるのがアイツだったというだけだ。相模も話は合うけど、いかせん新鮮味がない。
「まーそんなんだから、私と相模の間に恋愛感情はないわ。安心して。私は彼氏とラブラブなのよ」
 胸を張ってのろける。
「うらやましいです!」
「だったら早く相模と仲直りしようね」
 ズレまくっていた話をさらりと戻すと、琴ちゃんは固まった。
「十四日で仲直りできなかったら、こっちも強制措置とるから」
「きょ、強制措置……?」
 恐る恐るといった感じで琴ちゃんが上目遣いに私の顔をうかがう。
 私は、それはそれは素敵な笑顔で言い切った。
「私が勝手に琴ちゃんの気持ちを伝える。拒否権なし」

 ***

 そして当日。相模には「琴ちゃんを昼に部室に呼び出しておくね」と伝え、琴ちゃんには「相模がお昼休みに部室に行くように仕向けるから」と伝えた。ちなみに、他の部員には「今日の昼休みは部室に行くな。行くとクッキーやらない」と脅したので、間違っても近づかないだろう。
 私は部室が見える物陰を陣取り、二人がちゃんと会えたかを確認する。先に相模が来て、次に琴ちゃんが部室に入っていった。中でなにが繰り広げられるのかにも興味はあるが、二人が無事接触できたのを確認したら野暮なことはせずにさっさと教室に戻った。
 結局、五限目の授業に遅刻してきた相模は上機嫌だったし、手にはキレイにラッピングされたものを持っていた。そして授業が終わった後に、相模からの「上手くいった」という報告と、琴ちゃんからの「ありがとうございました」というメールが来て、二人は仲直りした後に想いを伝え合ったことが分かった。一安心だ。

 放課後、部活が始まる前に相模が付き合い始めたことを報告して、皆にからかわれた。祝福する反面、やっと気まずい空気から開放される喜びの方が大きいのかもしれない。けど私は、しばらくしたら相模と琴ちゃんのラブラブっぷりに当てられて「俺も彼女ほしいよ!」とか泣く奴も出てくると踏んでいる。それはそれでうざいな。
 まぁ、今日はバレンタイン。私と琴ちゃんが配った手作りクッキーとカップケーキを幸せそうに食べているみんなに、この日くらいは開放感を味あわせてあげよう。
 それにしても、他人の恋のキューピットをして、部活のみんなにバレンタインのクッキーを渡してはいるが、実は彼氏にはまだあげていない。というか、彼氏は寮住まいで滅多に会えない。寮に送ってもいいのだけど、それはやめてくれとお願いされている。
 だから高校に入ってからは、恋人なのにバレンタインというイベントを二人の間では行っていない。悲しいものだ。けど、夜に電話はしよう。こんな日くらいは声を聞きたいし。

 ……あぁもう。琴ちゃんたちを見てたら羨ましくなっちゃったわ。
 バレンタインなんてどうでもいい。声だけなんて嫌だ。会いたいよこんちくしょうっ!


 今年のバレンタインにアップする予定だった作品だったりして。主人公と琴ちゃんの会話から全く進まず放置状態でしたが、結局はあっさりとした結末になりました。というか肝心なシーンをスルーしてますね。……主人公はおせっかいだけど、覗きの趣味はなかったようです。残念。

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