咲き続けることはできないから

掲載日:2008-02-23

 朽ちないものなんてない。そんなこと、知っている。
 変わらないものなんてない。そんなこと、分かっている。

 だから、無邪気に私を愛してくれる人。
 私はもう、あなたを愛せない。

 ***

 ダンボールの積みあがった新しい部屋は、なんだか寒々しかった。暖房のスイッチは入っているはずなのに、つま先からひんやりとした空気が忍び寄る。片づけを進める気にもなれず、真っ先に整えておいたベットに沈み込んだ。
 洋一の部屋を出て来たのはいいけど、よく考えれば一人暮らしは初めてだ。大学では家を出ていたけど寮で相部屋だったし、社会人になってからは大学時代から付き合っていた洋一と一緒に暮らしていた。だから、こうやって誰も帰ってこない部屋というのものは、慣れない。

 ――ああ、でも。

 枕を抱きかかえて胎児のように体を丸め、突き上げる胸の痛みに耐えた。それでも目尻から雫は零れ落ち、シーツを濡らす。歯を食いしばって、叫びだしたい衝動を堪えた。それでも隙間から嗚咽は漏れ、空気を震わせる。

 ――でも、一方的に振ったのは私だ。

 泣きたいのは洋一だ。三年間も付き合っていた女から、突然「別れよう」なんて言われた洋一の方がずっと傷ついただろう。最初は意味を図りかね、次は冗談だと思い、けれど本気を悟り焦りに彩られた彼の顔を、私は忘れない。
 「なぜ」と彼は言った。「他に好きな奴でもできたのか」と彼は叫んだ。だから私は「好きな人がいるわけじゃない」と答えた。「あなたのことも、もう好きじゃなくなったの」、と。そう、他の人に気持ちが移ったわけではなくて、洋一への想いが朽ちてしまった。華やかな花が萎れて朽ちてしまうように、私の想いも時間をかけて朽ちてしまった。
 一緒に居すぎたから、彼への想いが「当たり前」になって「好きだ」と感じることもなくなったのかとも思ったけど、やっぱり違う。キスをすることも肌を重ねることも、少しずつ嫌になっていった。たぶん洋一は、結婚も考えていてくれただろう。私も一緒に暮らすことを決めた時、いつかは結婚したいと思っていた。けれどもうそれは無理だ。降り積もる小さなしこりは、いつしか大きくなって苦痛になった。

 ――だから私は部屋から出て行くと決めた。別れたいと告げた。

 出会って五年、付き合い始めて三年も経つのに、泣いた洋一を見るのは数えるほどだ。でも、映画やドラマで泣くのとは違って、傷ついて泣いているのを見るのは初めて。ゴメンね、なんて言えない。慰めの言葉をかけるなんてできない。抱きしめることなんて、もっと無理。だから私はただ静かに、涙を流す彼を見ていた。その涙を刻みつけようとした。
 長い長い時間をかけて彼が零した言葉はたった一つ、「わかった」。それを合図に私は立ち上がり、荷造りを始めた。洋一は黙って外に出て行った。それはつまり、彼が戻ってくるまでに出て行けということなのだろう。急いで自分の服や小物をまとめ、車を持っている友人を呼び出して、あらかじめ契約をしておいた部屋に運んでもらった。私と洋一が共同で使っているようなものは、置いていくことにした。わがままを言ったのは私だし、パソコンとかはそれぞれが個別に持っているから問題はない。
 荷造りが終わったのは翌日のお昼過ぎだったけど、洋一は帰ってこなかった。もしかしたら、ニ・三日は帰ってこないつもりかもしれない。もしも荷造りの終わらない私と鉢合わせたらと思うと、それくらいの期間は帰ってこれないのだろう。けれど、荷造りは終わった。私が払うはずの今月分の家賃と光熱費を封筒に入れてテーブルに残し、一年間暮らした部屋を出て行った。

 そして今、私は一人で新しい部屋にいる。思い出すのは洋一のこと。自分から去ったくせに、なんて身勝手。でも過ごした時間が長くて、彼の残像を振り切ることなんてできない。
 初めて会ったのは大学に入ったばかりの頃。同じサークルだったから、顔と名前はすぐに覚えた。最初は特に興味もなかったけど、二年になる頃には好きになってた。三年の春に付き合い始めて、卒業と同時に一緒に暮らし始めて――。積み重ねてきた二人の時間。紡いできた二人の思い出。それを途切れさせたのは私。

 ――どうして変わってしまうのだろう。

 確かに好きだった。確かに愛していた。今でも洋一のことは大切だ。好きだった人だもの。一緒に暮らした人だもの。嫌いになってしまったわけではないのだから、今でも大切な人。けれど、薄らいで朽ちてしまったものは元には戻らない。鮮やかに咲き誇っていた想いは、咲き続けてはくれなかった。
 枕を抱きしめる腕に力を込める。溢れる涙を、零れる嗚咽を、今はそのまま吐き出してしまおうと思った。泣くのは今日だけ。明日には泣き止んで、精一杯顔を上げよう。

 ***

 これ以上咲かせ続けることができなかったこの想い。

 自ら握りつぶした私を、どうか許さないで。
 朽ちた想いを切り捨てた私を、どうか忘れて。

 かつて愛したあなたへ送る言葉は一つだけ。
 ――幸せになってください。


 お題:「これ以上咲き続けることなんてできないのに」
     (『ing+be...』の「苦しい恋で12のお題」より、一つお借りしました)


 ↑と書いているように、お題から思いついた話です。が、書いてみるとちょっとニュアンスがズレてしまい、お題に沿った話といえるか微妙……。当初の予定では、別れるかどうかと悩んでいるけど今まで通り愛してくれる彼を振り切れないという設定だった。時間を別れた後にしちゃったので、ニュアンスがズレちゃったんですよね。でも、気に入っています。

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