終わりの鐘が響くから

掲載日:2007-05-13

 私は私の終わりを知っている。

  ***

 真っ白なドレスに薄紅色の造花を縫い付ける。空色のビーズを散らす。幾重にも重なるレースが揺れて、輝きを放つ。
 二ヶ月かけて自分で作り上げたウェディングドレスをそっと撫で、目を閉じた。
 明日私は結婚する。大好きな人と新しい一歩を踏み出す。彼とならきっと、幸せを一緒に紡ぐことができるだろう。
 思い描くだけで胸が高鳴り、自然に頬が緩む。

 ――だけど、そんな未来は決して来ないと知っている。

 薄暗い穴が目の前まで迫っている。踏み出すごとに穴は私に呼びかける。目を閉じても耳を塞いでも、遠ざかってはくれない。
 わかっているから、せめて目を逸らすことを許してほしい。
 滑らかな手触りに涙する。幸せの形に涙する。
 終わりへ飛び立つ純白の翼。自分の手で作り上げた最期の晴れ姿。

『結婚しよう。結婚、したいんだ』

 そう言ってくれた彼に、どれほど感謝しただろう。泣いてしまうくらいに嬉しくて、悲しかった。
 体から抜け落ちていく凍りついた諦め。望んだって意味はないとわかっていたから、望むことをやめたはずなのに。
 お願いだから私の心に触れないで。癒さないで。溶かさないで。私に輝く未来の希望を与えないで。決して手に入らないのだから。
 だから彼の差し伸べた手を振り払おうとした。振り払いたかった。
 ――でも無理だった。私は彼の手を掴んでしまった。掴んで、求めてしまった。
 彼を苦しめるだけだとわかっているのに、私は目先の幸せに屈してしまった。

『あなたと生きたい』

 彼の腕の中に飛び込んで、叫んだ。抱きしめてくれた優しい腕が、愛しかった。
 愚かな私は彼にすがった。残酷な私は彼を欺いた。

 ――生きられるわけがないのに。

  ***

 姉さんが私の髪を結い上げる。見事な細工を施した銀の髪飾りを挿してから、姉さんの手は私の肩に添えられた。
 鏡の中の私をじっと見つめ、茶色の瞳を揺らめかせ口を開く。
「本当に、いいの?」
 いいもなにも、覆すことなんてできない。それは姉さんだってわかっているだろうに。
「傷つけてしまうわよ?」
 確かに彼を傷つけて泣かせてしまうであろうことは、怖い。
 綺麗に化粧をしてもらった私の顔が、鏡の中で歪む。姉さんの眉も歪んだ。
「仕方ないのよ」
 そう言うしかない。彼を受け入れてしまった時点で裏切りは決まったのだから。どんな奇麗事も言い訳にしかならない。

「誕生日、おめでとう」
 呟いた姉さんの大きな瞳から、涙がこぼれた。

  ***

 私の誕生日に結婚式をしようと言ったのは彼だった。
 正直、迷った。もっと早く結婚してひと時の幸せを手にするか、結婚式より前に消えてしまうか。そして、結婚式のその日に終わりを受け入れるか。
 それでもせっかく彼が申し出てくれたことだ。私は、頷いてしまった。彼の人生に、消えない傷跡を残してしまうことを決めてしまった。

 教会での誓いの儀式。祝福は暖かくて、みんなの視線も言葉も嬉しかった。なにより、私の隣には彼がいる。
 着慣れない正装に緊張気味の彼の腕に手を絡め、愛しい人の顔を覗きこむ。視線に気がついた彼は、陽だまりみたいな笑顔をこぼした。

 愛してる。彼を愛している。それでも――。

「ヒカミの祝福のあらんことを」
 神父様が祝福を授け、私達は誓いの口づけを交わす。
 皮肉な祝福。太陽神ヒカミの名のもとに? ヒカミがもたらすのは祝福じゃない。絶望よ。誰よりも一番、私が知っている。
 口づけが終わると、私達は揃って教会の外へと歩いていく。外に出れば、親戚ばかりでなく町中の知り合いが集まって、いっせいに優しい拍手で私達の新たなはじまりを喜んでくれた。
 この幸せに溺れてしまいたい。愛する人との未来を夢みたい。

 ――鐘が鳴り響く。

 すっと視線を遠くに向けた。離れた場所から矢を構える姉さんの姿。気がついているのは私だけ。たとえ気がついていても、あの矢は見えはしない。
 こんなに遠いのに、姉さんの茶色い瞳が黄金にきらめいていることがわかった。その瞳を涙で濁している。矢を引き絞りながら、泣いている。
 ああ、泣かないで。その矢で私を射ることが姉さんの役目なのだから、泣いたりしないで。
 これから気を遠くなる年月を生きなければならないのは、姉さんよ。長い苦しみを味わうのは、姉さんなのよ。
 だからお願い。私のことで心を痛めないで。
「メノウ?」 
 彼が呼ぶ。胸を震わせる彼の声。
 ゆっくりと彼に顔を向け、微笑んだ。

 ――鐘が鳴り響く。

 胸を貫く光の矢。矢は私の体を傷つけはしない。けれど確実に、私の命に終わりをもたらす。
 でもよかった。この白いドレスを血で汚さずにすんで、本当によかった。
 姉さんにはこのドレスのまま眠らせてと頼んでおいたから、この艶姿のまま私は永い眠りにつける。
 彼との幸せの形を宿したまま、眠りにつける。

 私の腕は彼から離れ、体は地面に崩れ去る。
 数拍後に、彼の絶叫。呼応するように集まった人々が動揺に乱れる。
 視界が霞む。意識が遠のく。必死に目を開けて、彼へと手を伸ばした。彼も手を握り返して、何度だって私の名前を呼んでくれる。
 切羽詰った表情で、泣きそうな声で、恐怖に歪んだ瞳で。
 愛してる。愛してるのに。

 ――終わりの鐘が、鳴り響く。

  ***

 目を開くと、光の中にいた。
 ふわふわと浮いて、引き寄せられるように姉さんのところへ向かう。
「――メノウ」
 薄暗い洞窟の中に、姉さんはいた。私が近づくとすぐに気がついてくれて、微笑みかけてくれる。
 私を射た時には黄金にきらめいた瞳は、もういつもと変わらぬ茶色に戻っていた。
「もう目が覚めたの?」
 頷いたら、姉さんは腕を上げて洞窟の奥を見るように促した。

 ――水晶の中で眠りについた私がいた。

 純白のドレスは薄紅色の花も空色のビーズもそのままで、婚礼の日と同じ幸せの形を秘めている。
 それを着た私も、穏やかに微笑んだまま瞳を閉じる。今にも動き出しそうな赤みが差した頬。
「彼は、どうしているの?」
 自分の姿をまじまじと見つめるのは居心地が悪くて目を逸らした。
 そして、私が裏切った彼のことを聞く。すると姉さんの顔から感情が抜け落ちた。
「ずっと泣いていたわ。誰も寄せつけず、あなたのことを思って泣いていたわ」
 姉さんはそっと私の腕に触れた。実体を持たない私に触れることのできるただひとりの人は、瞳を黄金に輝かせ映像を流し込む。

 彼が泣いていた。二人で暮らすはずだった部屋で、一人で泣いていた。その背中は見たこともない影に沈み、テーブルにはたくさんの酒瓶。
 映像が切り替わる。
 彼は少しの悲しみを漂わせてはいるけれど、もう私が愛した穏やかな笑顔を浮かべてる。友達と笑い合い、仕事場で生き生きと働き、彼は私のいない未来を歩みだす。
 それでいい。あなたは幸せに生きて。
 裏切ったのは私。決して彼との未来を紡げぬことをわかっていながら、私は彼の言葉にこの身を投げた。苦しませるとわかっていて、私は彼との未来を約束した。
 愚かな私を憎んでください。残酷な私を忘れてください。
 彼にヒカミの祝福を。一度は絶望を与えてしまった彼に、力の限り祝福を与えましょう。

 ――なぜなら私が新たなヒカミだから。

 この国では、どんな小さな村にも太陽神ヒカミを祀った教会がある。ヒカミは命を育み祝福を与える母なる神。
 けれど、ヒカミは神なんかじゃない。世界への供物の一人に過ぎない。それを知っているのは、ほんの一握りの人間だけ。
 ヒカミの力が尽きる前に、新たな後継者が人間として生を受ける。そして二十歳の誕生日の日に守人が放つ光の矢で人間としての命は途絶え、次の代替わりまでの数百年をヒカミとして在り続けなければならない。

 姉さんが私から手を離す。そして私の脳裏に浮かんだ映像は、途絶えた。
 目を開くと、私の守人は透明な雫を地面にこぼしていた。
 守人。人間からヒカミになるために、光の矢で私を殺す人。私の肉体を水晶の中に閉じ込め、守り続ける人。次のヒカミが生まれるまで、永い永い年月を変わらぬ姿のままで生き続けなければならない人。
 私はそんな姉さんを抱きしめる。私の姉として生まれたばかりに、悲しい業を背負ってしまった人を抱きしめる。

 どうしてなんて言葉はいらない。生れ落ちた瞬間に定まった宿命なら、果たすしかないのだから。
 世界に光をもたらすために、私はヒカミとなり長い時間を呪縛される。姉さんはそんな私を守るために時を止める。
 それが決して変わらぬ運命なのよ。

 ああ、それでも泣きたい。それでも叫びたい。生きたいと、彼の傍にいたいと、彼を裏切りたくなかったと。全てが消えてしまいそうなくらい声を張り上げたい。
 愛していた。愛していたのよ。本当に、愛してた。

 ――どこか遠くで響く鐘の音に、私は目を閉じた。


 ……えっと、設定がよくわからないと思います。これは昔から考えている小説の、超番外編にあたります。ゆえにものすごく説明不足。ただただこの子の話が書きたいばっかりに書いています。後半はちょっと蛇足かな、とも思ったのですが一応。

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