甘い遊戯

掲載日:2007-09-01

これは、君に好きと言わせる遊戯。
甘い毒』の尾崎視点。

目次

  1. いつまでもフリをしているのは飽きた、そろそろ本気になってもいいよね (ままごと)
  2. そんなに隠すなよ、暴き立ててやろうか? (隠れんぼう)
  3. 身も心も捕らえてみせる、卑劣な手段も上等 (鬼ごっこ)
  4. それが欲しい、全て欲しい (花一匁)
  5. さぁ始まりの合図、どうすれば君に勝てるだろう (じゃんけん)

お題配布元:『蜥蜴堂』(一部、順番変更)

1.いつまでもフリをしているのは飽きた、そろそろ本気になってもいいよね

 クラス表で川野の名前を見つけた時、驚いたね。これで三年間ずっと同じクラスさ。そんな奴、川野の他にはいない。別にたいして仲のよくない奴と同じクラスだからってどうも思わないけど、川野は別だ。
 あいつは一年の時、俺を嫌っていたな。言っちゃ何だが俺はモテる。顔はまあまあだが、サッカー部では一年の秋にはエースと認められたし、成績はいいほうだし、表向きは人あたりもいい。女には不自由しないが男友達も大勢いる。俺が理想とした高校生活を手に入れたんだ。
 なのにあいつは俺を嫌ってた。唯一の汚点だね。バラ色の高校生活に影を落としたあいつの目。
 理由はわからなかった。そしてある日二人きりになる機会があったから聞いてみると、「中学の時、私の友達と友達を二股かけてたから」ときた。なんと同じ中学だったらしい。全く気がつかなかった。
 二股の話は道子とすみれのことらしい。弁解すると二人が友達だったわけじゃない。道子は同じ中学ですみれは同じ塾の子だ。で、川野は道子と俺と同じ中学ですみれと俺と同じ塾。川野は塾まで同じだったらしい。こうまで俺の視界に入っていない女も珍しいよな。

 染めていない短い髪に銀フレームの眼鏡。顔は好みだ。ちょっと釣り目で気の強そうな目。その右の目元にあるほくろも色っぽくていい。体系は俺好みのスレンダー系ではないけど、バランスのとれたふっくらした肉づきにはそそられる。
 どうしてこんな女を見逃していたのかと疑問に思って卒業アルバムを見てみると、理由がわかった。中学時代の奴は野暮ったいフレームの眼鏡におさげ。これならなんとか記憶の端で思い出せた。確か塾での私服姿も野暮ったかった。適当にその辺にあったものを着ているような感じだ。いつも一番前の席に陣取って勉学に励んでいた女の後姿なら覚えてる。
 まあ、あれじゃあ俺のアンテナからはずれるか。外見が全てではないとしても、外見に全く興味のない女には興味がない。センスがなくったって努力の後でも見つかれば愛しくなるね。
 それがなぜ高校に入ると激変したのかが謎だったが、あっさりと話してくれた。曰く、「あの頃は父の不倫や母の病気や祖父の死が重なって大変だったのよ」ということらしい。髪は伸ばして縛ったほうが美容院に行かなくて安上がりだし、眼鏡は父のお下がりだし、特待生制度を利用して学費を安くあげようと必死だったようだ。じゃあなんで金のかかる塾にいたんだと聞くと、あそこは叔父の経営する塾で簡単な雑用を手伝う代わりにタダで通わしてくれたとのこと。
 高校に入る頃には両親の離婚が成立し、母の病気も治り仕事を始めて落ち着いたみたいだ。母が仕事に出るようになり、川野もバイトを始めて少しは余裕がでたためうっとおしく思っていた髪を切って、度の合わなくなった眼鏡をフレームセットの安売りで買い変えた姿がこれだ。

「なによ」
 斜め後ろに座った川野が嫌そうに言った。
「いや、また川野ちゃんと同じクラスだね」
「不幸にもね。あと、川野ちゃんはやめろ」
「水樹ちゃんって呼んだら怒るじゃないか。譲歩の心は必要だよ」
 ふんっと鼻を鳴らして川野は買ったばかりの新しい教科書に目を落とす。
 俺はこみ上げる笑いに口元を歪めた。
 川野は俺が好きだ。それを知らない振りして、まとわりついた。いちいち動揺を隠す川野がおもしろかったんだ。それでも川野は俺が好きだなんて言わない。つれない態度で突き放される。だから周りの奴は、まさか川野が俺を好きだなんて気がついていない。俺が川野を好きっていう認識なら公認的に広まっているけどね。
 いつも暖かい応援をもらって川野にまとわりつく。でも、俺は川野なんてなんとも思っていないよ。これは、好きなくせに拒絶して意地をはる川野をからかう遊戯だ。

 でも、そろそろ知らないフリも好きなフリは飽きたな。中途半端なままごとは飽きた。
 同じクラスになったのも何かの縁。本気になろうじゃないか。

 本気で君を溺れさせる遊戯をはじめよう。

2.そんなに隠すなよ、暴き立ててやろうか?

 目の前には不機嫌な川野。場所は二人きりの教室。ついでに言うならドアの鍵は後ろも前も閉まっている。明日から夏休みということもあり、クラスのみんなが俺のためにこの状況を提供してくれたんだ。俺の人望ってすごいね。
 三年になってから俺の態度が変わったことに気がついたのは川野だけだろう。中途半端な愛情表現は変わらないけど、二人きりになると途端に冷たくするようになった。そうかと思えばじっと見つめたり、逃げ出せないように抱きしめたり。戸惑ってときめいて、それでも抗う川野。
「私、バイトがあるから早く帰りたいんだけど」
 睨み付ける君の目すら滑稽だ。
「今日は休みだって浅岡さんが言ってたよ」
 川野と同じバイト先の女の子にも協力してもらっている。まさか俺が遊戯で川野にまとわりついているとは思ってないよ。純粋に俺の恋のお手伝いをしているつもりなんだ。
 嘘で逃げ出そうとした川野は苦々しげに顔をしかめ、強硬手段に出た。自分の鞄を引っつかんで鍵をかけられた教室のドアのうち、中から鍵を開けることのできるドアに向かった。
 だから俺は川野の腕をとって自分の方に引き寄せた。そしてそのまま自分の腕の中に閉じ込めてしまう。
「離せ!」
 暴れる川野の耳元で一言。
「好きだよ水樹」
 微かに跳ねた肩に気がつかないわけがない。だから俺はもう一度言う。
「好きだ」
 濡れた瞳と目があった。
「水樹」
 泣きそうな顔で歯を食いしばる川野は可愛かった。
「……嫌い」
 あんたなんて大嫌い、とはっきりと口にする。

 そんなに自分の気持ちを隠すなよ。いっそう、暴き立てたくなる。
 君の口から好きだと言わせたくなる。

 だから俺は口づけを贈る。
 優しい口づけを――。

身も心も捕らえてみせる、卑劣な手段も上等

 初詣客で賑わう神社に元旦から一日遅れて詣でに来た。隣にいるのはもちろん川野。着物を着てきてと頼んだけど、無視されて川野の服装はジーンズにセーターとコート。しっかりマフラーと手袋もつけている。
「なんでわざわざあんたと初詣に来なきゃならないの」
 まだ怒っている。
「受験生なんだし、合格祈願でもしようよ」
 にっこりと笑ってやると、「別にあんたと来る必要はないのよ!」と怒鳴られた。
 往生際が悪いな。二学期の期末テストの総合点で俺が勝っていたら二人で初詣に行こうと賭けて、見事俺は勝ったのに。がんばったんだぞ? 川野は成績がトップクラスなんだし。いくら俺の成績がそこそこいいからって、川野に勝つには苦労したんだ。賭けの約束をとりつけてから、受験勉強そっちのけでテスト勉強したんだからな。もうすぐセンター試験だっていうのに。

 それにしても人でごった返しているな。さっきから川野は波に飲まれて遅れては小走りについてきている。俺は見かねて川野の手をとったんだけど、川野は意図せず真っ赤になった。
「ちょっと、子供じゃないんだから手を繋がなくったって大丈夫よ!」
 せめて「恋人じゃないんだから」とかと言ってほしかったな。真っ赤になって怒っているポイントは、手を繋ぐことは子供扱いされていると思うことらしい。
 夏休み前に教室で無理やりキスして以来、川野の警戒心は常に高かった。それでも夏休み中は連れ出して遊びにいったし、二学期はクラスみんなの策略で俺と川野が二人でクラス委員になった。だから必然的に一緒にいなくちゃならない時間が確保できて楽だったな。
「手を繋がなくて迷子になった事でもあるの?」
 おもしろいから尋ねてみると、川野はぐっと詰まった。じっと見つめて圧力をかけるとぼそぼそと言う。
「……小学四年の時、父さんと手を繋ぐのが恥ずかしくて嫌で迷子になるからって手を出してきても無視してたの。そしたら本当に迷子になっちゃって親は慌てて探してたのよ。それ以降、当分の間は人込みでは親と手を繋がなくちゃならなかったの」
 可愛らしい。昔からそうだが、川野は聞いた事はけっこうあっさりしゃべる。渋ってもじっと見つめれば大概は折れる。ただ、これが俺限定だというのが可愛いんだ。友達とかからは頑固やら秘密主義やらと言われている川野は、俺にはちゃんとしゃべる。これは川野も無意識だと思うな。俺に嫌われたくないって思ってるからしゃべってしまうんだろう。
 そのくせ、絶対に好きとは言わない。そんなそぶり見せることすら嫌がっている。俺を突き放してみせる。本当に俺のことが嫌いなのかと考えたこともあるけど、すぐに否定した。
 川野は俺が他の女の子と話していると妙に不機嫌だ。川野は俺とよく目があう。川野は俺が冷たくしたり、自分で俺を突き離したりすると、泣きそうに顔を歪める。川野は嫌がって抗って見せても、結局は俺の腕から逃げ出さない。キスはあの日以来できなかったけど。まあ、そんな奴だ。

 お参りをすませるとおみくじをひいた。川野は中吉。俺は吉。っち、川野の方がいいじゃないか。けど川野のおみくじの恋愛のところには「縁はそばにあり」と書かれていたので満足だ。川野がその部分を読んでからちらりと俺を一瞥したことを見逃しちゃいないよ。
「お守り買ってくる」
 おみくじを木に括りつけると、川野は俺を無視してお守りを売っている巫女さんの所に駆けていった。俺はその背中を追いかけて、言葉を投げる。
「俺の合格祈願のお守りも買ってよ」
「なんであんたのまで私が買うのよ!」
 睨まれた。
「今日は俺の誕生日だよ? 五百円のお守りなら安いもんじゃないか」
「……誕生日、今日なの?」
 ありゃ、知らなかったのか。だからわざわざ一日じゃなくて二日に誘ったんだけどな。
 川野は俺をまた無視してお守りを眺めた。俺は買ってもらうのは諦めて川野の横から良さそうなお守りを探す。一応俺って受験生だし。川野が受験子守と名付けられた小ぶりお守りを指差して巫女さんに「これお願いします」と言った。300円。俺もこれにしようかな。
 そんなことを思っていると、川野が俺に買ったばかりのお守りを袋ごと突きつけた。ちょっとばつの悪そうな赤い顔で。
「一番安いのだけど、いいでしょこれで」
 びっくりした。本当に買ってくれるとは。俺はうれしくて心の底からの笑顔を向けたね。なのに川野はぷいっと顔を逸らすと、再び巫女さんに「これお願いします」と言った。指差すのは500円の受験のお守り。こいつ、自分のは高いのを買いやがった。

「尾崎は大学なに学科に行くの?」
 再び人でごった返した参道を歩いていると、川野はそんな事を聞いてきた。今は一月だぞ。ものすごく今更な質問じゃないか。俺は川野が近くの公立女子大の経済学部を希望していることを知っている。なのになんでこいつ、俺の進路を知らないんだ? 今までそんなに興味を持ってないっていうのかよ。
「関係ないだろ」
 答えるのが面倒で投げやりに言った。
 そこから川野は何もしゃべらなくなった。なんだ、このくらいのやり取りで傷ついたか? いつももっと冷たくすることもあるってのに。……でもこいつから質問してくることって滅多にないよな。ちょっと惜しいことしたか?
「法学部だよ」
 俺はなにこいつのために折れてんだ。
「……似合わない」
 少し間を置いてそんな言葉を贈ってくれた川野。言わなきゃよかった。
「法律あってこその社会だろ。やっといて損はない」
 ムキになる自分かむなしい。けど「尾崎が言うと法に触れずに悪事するためーって聞こえる」と珍しく全開の笑顔を向けてくれたことに、鼓動が速まった。

 後ろから引っ張られて俺は立ち止まらざるを得なかった。そういえば、いつの間にか川野の手を握ってたんだ。人並みに流されて迷子になりそうだったから。手を繋いでいることが当たり前のように感じて、手を繋いでいることすら忘れていた。
 振り返ると、屋台を見つめて立ち止まる川野。視線の先にはりんご飴。
「食いたいのか?」
「見つけちゃうと、食べたい」
 ガキだな。祭りの屋台とかでは必ずりんご飴を買うタイプだ。俺は川野の手を離して、屋台に向かう。慌てて俺の後を追ってくる川野に「これでいいだろ」と小さい方のりんご飴を指差して、頷いたのを確認してから店のおじさんから小さいりんご飴を二つ買った。
「ひとまず人が少ないところ行って食うぞ」
 再び川野の手をとって神社から足早に出た。近くに公園があったはずだから、そこのベンチで食べよう。
 幸い公園に人はあまりいなかった。まあ、この公園は地元の人しか通らない場所にあるから、初詣客が休むために来ることは少ないだろう。というか、クソ寒いのに公園で休む奴もいないか。
「お、お金」
 手ごろなベンチに座ってりんご飴を一つ差し出すと、少し息の上がった川野がそんなことを言った。
「別に高いもんじゃないしいらない」
「でも……」
 渋る川野に苛立って、「いらないんなら二つとも俺が食うからな」と言って川野の手に渡ったりんご飴を取ろうとすると、必死で「食べる!」と守りにはいった。そんなに好きなのかよ、りんご飴。
 小さな声で俺にお礼を言ってから、りんご飴にかぶりつく川野は幸せそうだ。寒さで赤くなった頬や鼻が可愛らしい。
 俺もりんご飴にかぶりつく。甘い飴とちょっとすっぱくなったりんご。喉が渇く。そういや俺ってりんごあんまり好きじゃないんだよな。梨の方が水分たっぷりで好きだ。まあ、このりんごは小さいやつだから食べきれるけど。
 食べ終わるまで俺達は無言。食べ終われば残った棒をゴミ箱に捨てて、もう一度ベンチに腰を下ろす。本当に、喉が乾いた。飲み物でも買ってこようかな。
「尾崎、飲む?」
 さっきから横でごそごそしていた川野が、俺に湯気のたった飲み物の入っているコップを差し出してきた。見ると、水筒のふた。こいつわざわざ水筒を持ってきていたのか。妙なところで節約しているな。
 俺は礼を言って暖かい飲み物を飲む。これは紅茶か。なに気にストレートで苦い。
「お前、紅茶はストレート派だっけ」
「え、尾崎ストレート駄目だった? ごめん。私、紅茶やコーヒーに砂糖が入っているの飲めないの」
「俺もストレート派だけど、お前はガンガンに砂糖入れそうなイメージがあった」
 こいつ、甘いもの好きだし。前に無理やり連れていったケーキバイキングで、何個食べてたんだろう。俺の倍は食べてたな。
「砂糖入れると、鉄っぽい味がしない?」
 よくわからないが、砂糖を入れること自体が嫌いらしい。
 川野が水筒を片付けても、俺達は無言でベンチに座っていた。なんだか、このまま動きたくない。川野といると、沈黙が続いても安心できるんだよな。

 身も心も捕えたい。
 隠せば暴きたくなる。逃げれば追いかけたくなる。
 どんな卑劣な手段でもかまわない。
 これは、遊戯なのだから。

 でも、この沈黙を守りたいと思うのも事実なんだ。

それが欲しい、全て欲しい

 川野が無邪気に笑って男に話しかける。そんな光景を見たのは、卒業テストが終わって自由登校になった二月上旬。俺はバイクに乗っていて、信号待ちをしていた。その俺の前に川野がいる。男と笑い合って横断歩道を渡る。
「水樹、お前歩くの遅いよ」
 そう言って男は川野の手を握った。川野は「子供扱いしないでよ」と拗ねたように怒ったけど、前に俺に真っ赤になって怒ったのとは違う、親しい怒り方。すぐに笑顔になって男に笑いかける。
「ひーくん、帰ったら勉強教えてね」
 ひーくん。なんと親しげな呼び方だ。俺は目の前を過ぎて行く川野を凝視した。俺はこんなに近くにいるのに、川野は気が突かない。そりゃ、ヘルメットをかぶってはいるけど、顔をすっぽり覆っているわけじゃないぞ。顔はしっかりさらされているのに。
「受験終わるまで、いつでも教えてやるよ」
「ありがとう。だからひーくんって大好き!」
 眩暈がした。俺が引き出したくても引き出せない言葉。それを笑顔で男に言った川野。
 俺は信号が変わっても、後ろからうるさくクラクションを押されるまで動けなかった。

 ***

 俺はインターフォンを押した。しばらくして聞こえる、川野の声。
「俺。開けて」
 一呼吸置いてから、川野は「えええ!」と叫んだ。声だけで俺だとわかってくれるってうれしいね。
「どうしたの尾崎」
 出てきた川野はジーパンにトレーナー姿。どうでもいいけど寝癖ついてるぞ。
「その格好してるってことは、今日学校に来る気はなかったんだな」
 自由登校だから別に来なくても問題ない。けど俺は、この日だけは川野を待っていた。でも昼になっても来ないから俺から川野に会いに来たんだ。
「え、なんか用事でもあった?」
「あった」
 今日は何の日だと思ってるんだ。
「今出られるか?」
「……留守番しないといけないから」
 しばしの躊躇の後に川野は言う。留守番って、川野の家は母子家庭で学校ある日は家に誰もいないだろう。今更なにが留守番だ。
「そう、じゃあ上がらせてもらうよ」
 俺は無理やり玄関に押し入る。
「ま、待って」
 勝手に靴を脱いで家に上がった俺に、川野は上ずった声で追いかけてきた。
「どこに行けばいい」
 川野はほとんど反射的に「まっすぐ、リビング」とドアが開いたままのリビングを指差した。俺は遠慮なく入る。
 リビングには新聞が広げられ、テレビからはニュース番組が流れる。川野が今さっきまで、ここでくつろいでいた証に妙に心がざわついた。
「なんの用?」
「バレンタインのチョコをもらいに来た」
 今日は二月十四日。
「なに言ってるの。ないよそんなもの! 第一なんで尾崎に上げなくちゃ駄目なのよ!」
 突然の俺の登場に動揺していた川野も、どんどん調子が戻ってきたみたいだ。
「あれ、チョコじゃないの?」
 俺は目ざとくリビングのテーブルの上に置かれた箱を見つけていた。紺の包装紙に包まれた小さな箱。横には水色のリボンが投げ出されている。
「あれは尾崎にあげるものじゃない!」
 真っ赤になって箱を背後に隠す川野。チョコってことは否定しないんだな。
「じゃあ、誰にあげるの?」
 頭の中で点滅するのは、川野がこの前一緒にいた男。
「いつも勉強教えてくれる人よ!」
「……ひーくん?」
 真っ赤な顔がほうけた顔に変わる。
「ひーくんを知ってるの?」
 否定はしないのか。
「俺にはくれないのに、そいつにはあげるの?」
 怯えたように身をすくませた川野。俺はきっとものすごい目で睨んでるんだろうな。
「お、お世話になってるからそのお礼」
 かすれた声で川野は言う。俺はゆっくりと川野に近づいた。
「俺、お前のこと好きだって言ったよね。川野は俺のことどう思ってんの?」
 近づいて川野を顔を両側から挟んで、俺の方に向かせた。泣きそうな顔で俺を見上げるその目に、口づけを落とす。夏休み前のあの日以来、嫌がるからキスはしなかった。けど、俺はまぶたから下に唇を落として、荒々しくキスをする。
 川野はもちろん抵抗した。俺は無理やり床に押し倒して、執拗にキスを繰り返す。そしてそのまま唇を川野の首を辿って鎖骨に持っていった。
「やめて」
 嫌だ。やめない。
「やめて、本気じゃないくせに触れないで」
 嗚咽交じりの言葉に、俺は少し離れて川野の顔をみる。潤んだ瞳は瞬きするたびに涙を落とし、上気した頬は濡れている。けれど、その瞳に宿る光は強い意思。
「本気じゃないなら、私の心に触れさせない」
 まっすぐ俺の目を見るその瞳。
 目の前が真っ暗になった。言いようのない怒りで体中の血が沸騰したようだ。

 手に入らない。
 川野の心は手に入らない。
 今、このままいけば川野の体は手に入っても、もう決して心は手に入らない。

 川野の心が欲しい。川野の全てが欲しい。

さぁ始まりの合図、どうすれば君に勝てるだろう

 今日は卒業式だ。その式も終わって、みんな写真を撮りあったり卒業アルバムにサインを書いたりしている。まだ後期試験が残っているが、今日はみんな受験を忘れておおはしゃぎだ。俺も友達としゃべりながら、川野の姿を探した。
 あの日俺はあれ以上何もせずに川野の家を出た。どうしようもない怒りだけが俺の中でくすぶり続ける。
 自由登校の学校でたまに会った時、俺は今まで通りに接した。けれど、一度だって連絡を取らなかった。今日も人目があったから笑顔で挨拶をしたけど、それっきりだ。
 会いたい、のだろうか。気がつけば川野の姿を探す自分が嫌だ。
「あー尾崎発見!」
 甲高い声が響く。振り向けばクラスの女の子が、川野の腕を掴んで引きずってくる。俺の友達も「川野さんだ。お前、今日あんまり話してないだろ。行ってこいよ」とありがたい申し出をしてくれるが、どうしたものか。
「今日は最後なんだから、あんたが水樹と帰りなさい」
 クラスの女の子は俺に川野を押し付ける。川野は抗議しているが、周りの奴らはみんな俺達の恋の味方気取り。諦めろよ、川野。こいつらもいい奴なんだが、強引だ。俺が言うのもなんだけどな。
「じゃあ、帰るか川野」
 ためらいは見せたけども、笑顔ではやし立てる友達に観念したのかおとなしく俺の横に並んだ。
「じゃあ、大学決まったら連絡する」
 俺は友達にそう言うと、川野を連れて岐路につく。川野はずっと下を向いたままだ。口を開かない。……無理もないけどな。
「この前あげた指輪、しないのか」
 ぱっと俺の顔を見上げて、すぐに下を向いた。なんだよ。
 俺はあの日の帰り際、川野に誕生日プレゼントを置いてきた。二月十四日はバレンタインでーである以上に、川野の誕生日だったのだ。チョコも欲しかったけど、プレゼントも渡したかった。だから、会いに行った。
 まあ、川野は俺のあげた指輪をしてはくれないけど。
「……そういえば、お前の親って離婚したのに苗字変わらないのか?」
 沈黙が嫌で無理やり話題を探す。川野は不思議そうに俺を見つめて、「苗字、変わったよ」と言った。
「中学の時のアルバムみたけど、『川野水樹』って書いてたぞ」
「違うよ。『河野水樹』って書いてたの。三本線の川じゃなくて、さんずいを使う河」
「……お前の親父とお袋って、漢字が違っただけで苗字一緒なのか」
「うん」
 確かに中学の卒業アルバムには『河野水樹』と書いていた気がする。卒業アルバムで誤植かよと思ったからな。俺は苗字が変わった後の川野しか知らない。中学時代は一応記憶の角にあるくらいだし。名前は全然知らなかった。それにしても、珍しいな。

 俺は大切なことを後回しにしている自分に苛立った。
 時間がなくなる。俺はまだ、言えてない。伝えるべき言葉を口にしていない。
「川野」
 立ち止まった俺に、川野は振り返る。
「本気になってやるよ」
 瞬く瞳。
「逃がさないから、覚悟しろよ」
 泣きそうに川野は笑った。

 いつの間にか溺れていたのは俺なんだ。遊戯のつもりが本気になった。それに気がつかなかった俺も馬鹿だな。
 遊戯のつもりだったから俺は川野を力ずくで惑わせた。だから川野は俺を好きでも拒絶した。
 ちゃんと本気になってやる。逃がしはしない。

 さあ、始まりの合図は送った。
 俺はどうやれば君の心を手に入れられるだろう。


 『甘い毒』の尾崎視点。感想、あーやっちゃた。別に尾崎に押し倒させる気はなかったんですが、尾崎が暴走しちゃいました。今回は尾崎視点から書きはじめたので、押さえが効かなかったようです。
 尾崎は何か根本的に間違っている。そんな気がします。本気になっても遊戯のように川野ちゃんの心を手にいれようとするあたり……。でも、彼を書くのは楽しかった。

お題配布元:『蜥蜴堂』(一部、順番変更)

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