甘い毒

掲載日:2006-09-01

こんな想い消し去りたい。けれど、私は甘い毒に蝕まれる。
甘い遊戯』の川野視点。

目次

  1. こんな縁はいらない
  2. 口づけという名の甘い毒
  3. この手を離したくない
  4. 本気じゃないなら、この心には触れさせないい
  5. そして私は甘い毒に溺れる

1.こんな縁はいらない

 クラス表で尾崎の名前を見つけた時、私は笑った。
 これで三年間ずっと一緒のクラス。また、離れられなかった。

 尾崎徹は中学もその時通っていた塾も一緒だ。私が言うまで知らなかったみたいだけどね。ともかく、私はこいつが嫌いだった。
 学校友達の道子が彼氏ができたと尾崎のことを話していた。塾友達のすみれが彼氏ができたと尾崎のことを話していた。私は同じ時期に同じ人物の話を、全く別の人物から聞いていた。……どう考えても二股だろう。私は幸せそうな二人に忠告することもできなくて、日々悶々と過ごしていた。当時は母の病気や父の不倫や祖父の死が重なって慌しかったのに、尾崎はさらに私の心労を増やしやがった。
 三ヶ月もしないうちに二人は尾崎の二股に気がついた。休日、道子と尾崎のデート中に偶然すみれが出くわしたのだ。けっこうな修羅場だったらしいが、その後二人に恨み言を聞かされた私は思いだしたくもない。そんなことがあったから、高校に入って同じクラスになった奴を見つけた時はすごく嫌だったんだ。

 尾崎はサッカー部に入って活躍していた。成績もよくてテスト前に友達に勉強を教えていた。ムードメーカー的存在でクラスのみんなに好かれていた。尾崎を好きだという子は何人も知っているし、嫌いだという子は「おもしろくていい奴だから嫌い」なんていう嫉妬的な意見しかない。
 みんな騙されている。あいつは二股をかける奴だぞ。
 私は尾崎を嫌っていたし、尾崎もそれに気がついたようだ。たまたま二人きりになった時に「なんで川野さんは俺を嫌ってるの?」と聞いてきた。だからはっきり二股の話をする。
 あいつは驚いたようだけど、そのポイントは私が同じ中学で同じ塾だったことらしい。次の日にはわざわざ卒業アルバムを見て、私の外見の激変に驚いていた。むかつくから理由を話と、感心してたよ。変な奴。嫌な奴。
 そんな風に思っていたんだけど、尾崎は私にまとわりつき始めた。「川野ちゃん」となれなれしく呼ぶ。笑顔を向ける。自分を嫌う女をからかっているのか。

 気がつけば私は尾崎を見ていた。サッカーの自主練習を毎朝している姿とか、図書室で勉強をしている姿とか。尾崎は努力家だ。一人でひっそり努力してる。こんなことに気がつきたくなかった。
 好きに、なってしまったかもしれない。
 そう思うとたまらなく嫌だった。尾崎は私の友達と付き合っていた人。二股をするような人。好きになったって報われない。苦しいだけだとわかってる。だから、気持ちは押し殺して消えるのを待つつもりだった。なのに、尾崎は私にまとわりつく。笑顔を向ける。
 それが執拗になったのは私が尾崎を好きだと自覚してしばらくしてから。あいつの目は笑っていた。私の気持ちに気づいてた。自分を嫌っているからおもしろがってまとわりついていた女が、自分に好意を抱いた。それに目をつけられた。
 尾崎は私を誘惑する。甘い言葉で私を捉える。私を溺れさせる遊びをする。なのに周りの人は尾崎が私を好きだと誤解して、突き離す私と尾崎を一緒にさせようとする。
 違うのよ! 尾崎は私のことなんておもちゃとしか思ってない。この想いは、私の心に芽生えてしまったこの想いは、私の中だけで消し去るの。それまでそっとしておいて。
 チャンスはクラス替え。離れたクラスになることを祈った。だけど、結局は同じ二組。

「なによ」
 視線を感じて顔を上げると、斜め前に座る尾崎がじっとこちらを見ていた。
「いや、また川野ちゃんと同じクラスだね」
 なれなれしく声をかけないでほしい。
「不幸にもね。あと、川野ちゃんはやめろ」
「水樹ちゃんって呼んだら怒るじゃないか。譲歩の心は必要だよ」
 なにが譲歩だ。人を弄んでいる奴に言われたくはない。私は尾崎を無視して買ったばかりの教科書に目を落とす。

 こんな縁いらない。
 私はこの想いを消したいだけ。

2.口づけという名の甘い毒

 目の前にはニヤニヤ笑う尾崎。場所は教室。私たち以外誰もいない。それもそのはず、クラスのみんなが共謀して私達を二人っきりで閉じ込めたんだから。明日から夏休みだっていうのに、みんななにを考えてるんだ。
「私、バイトがあるから早く帰りたいんだけど」
 そう言って睨みつけた。奴は笑顔を崩さない。
 みんなは気づいているのだろうか。こいつ、三年になってから遊びがエスカレートしている。みんなの前では今まで通りまとわりつくけど、二人になれば皮肉な笑顔を向けてくる。冷たく私を突き離す。そのくせ、突然抱き締めたり見つめてきたり。高鳴る鼓動に翻弄されてばかり。
「今日は休みだって浅岡さんが言ってたよ」
 ……バイト先の子にまで手を回して私で遊ぶのか。もういい、やってらんない。私は鞄をつかんで、内側から鍵のあけられる後ろのドアに向かった。
 すると強い力で腕を引っ張られた。そのまま尾崎の腕の中に収まってしまう。
「離せ!」
 私は動揺と苛立ちで暴れた。
「好きだよ水樹」
 耳元で、甘くささやかれた言葉。
「好きだ」
 私を溺れさせる。
「水樹」
 名前で呼ばないで。
「……嫌い」
 あんたなんて大嫌い。尾崎の目を見てはっきりと口にいた。

 尾崎は笑う。残酷な笑顔を向ける。
 そして、尾崎は毒を贈った。

 口づけという名の、甘い毒。

3.この手を離したくない

 なぜ私はこんなところにいるんだろう。一月二日。初詣客で賑わう神社。隣には尾崎。
 これも私が安直に賭けに乗ったことが原因だ。二学期の期末テストで、尾崎の総合点が私に勝っていたら二人で初詣に行くという賭け。いつも十番以内の私が負けるとは思わず、賭けに乗ってしまった。そして奴は見事学年順位二位。私は八位。完全に負けている。
 約束を破るわけにはいかないけど、私は着てきてと言われた着物は意地でも着なかった。このくらいの抵抗は許されるはずだ。
「なんでわざわざあんたと初詣に来なきゃならないの」
 口に出して不満を出さなきゃやってられない。
「受験生なんだし、合格祈願でもしようよ」
 悪魔の笑顔でそんなことを言う。
「別にあんたと来る必要はないのよ!」
 怒鳴っても、尾崎は肩をすくめるだけ。効果なし。
 それにしても、人が多いな。尾崎って歩くペース速いし、私は人の波に流されて、距離が離れてしまう。その度に走って追いかけるけど、もうちょっと連れに気を使えよ。
 突然、尾崎が私の手を掴んだ。
 まさか尾崎がこんな行動に出るとは思わなかった。私に優しくすることはあっても、こんななに気なしに気を使うなんてない。それとも、よほど私が危なっかしくて子供っぽいってことか?
「ちょっと、子供じゃないんだから手を繋がなくったって大丈夫よ!」
「手を繋がなくて迷子になった事でもあるの?」
 ぐっと詰まる。こいつのこの笑顔、嫌いだ。なのに無言で見つめられると開きたくない口も開いてしまう。
「……小学四年の時、父さんと手を繋ぐのが恥ずかしくて嫌で迷子になるからって手を出してきても無視してたの。そしたら本当に迷子になっちゃって親は慌てて探してたのよ。それ以降、当分の間は人込みでは親と手を繋がなくちゃならなかったの」
 ああ、なんでわたしはこんな奴にこんな話をしなくちゃいけないんだろう。無理やりキスするような奴よ? そりゃ、あれ以降はキスされることはないけど。でも夏休み中は息抜きと称して無理やり引っ張り出されてたし、二学期はみんなの罠で一緒にクラス委員をしなくちゃならなかった。やになっちゃう。

 おみくじをひくと中吉だった。尾崎は吉。よっしゃ勝った。でも、恋愛のところに「縁はそばにあり」と書かれているのを見て落ち込んだわ。さっき、お参りした時に「尾崎と離れられますように。忘れられますように」ってお願いしたのに。今そばにいるのは尾崎。尾崎に縁があるってか? ごめんこうむるわ。
「お守り買ってくる」
 おみくじを木に結ぶと尾崎を無視してお守り売り場に走っていった。慌てて尾崎も追いかけてくる。
「俺の合格祈願のお守りも買ってよ」
「なんであんたのまで私が買うのよ!」
 思わず振り返って叫んでしまう。巫女さんや他の参拝客が驚いているよ。恥ずかしい。奴は周りの視線は気にせず言う。
「今日は俺の誕生日だよ? 五百円のお守りなら安いもんじゃないか」
「……誕生日、今日なの?」
 知らなかった。
 私は、ちょっと迷ってお守りを見る。目に入ったのは300円の受験子守。新年だし、たまにはいいでしょ?
「一番安いのだけど、いいでしょこれで」
 そう言って買ったばかりのお守りを差し出すと、尾崎はびっくりした顔をする。なんだ、本気でほしかったわけじゃないのか。損した。そう思っていたら尾崎は滅多に私に見せることのない、心からの笑顔で受け取る。
 ……不覚にも心臓を鷲掴みにされてしまった。私は赤くなった顔を隠すために再びお守りを選び出す。
「これお願いします」
 500円の受験のお守り。こいつと同じものなんて買わないから。

 再び参道を歩いていた。なぜか最初から尾崎の手は私の手を握っている。あまりにもさり気なかったから、無意識なのかもしれない。私は落ち着かなくて話題を探した。
「尾崎は大学なに学科に行くの?」
 確か法学部。誰かがおせっかいにも教えてくれた。
「関係ないだろ」
 振り向きもせずに吐き捨てられる。
 怒って、る? もしかしてさっき安いお守りをあげて、自分のは高いのを買ったのを怒ってる? うわ、子供っぽい。……こういうところが可愛いと思ってしまう自分がむなしいわ。
「法学部だよ」
 なぜか尾崎は二、三分経ってからそんなことを言う。もしかして、尾崎も沈黙が嫌なのだろうか。ああ、ほんと可愛いな。
「……似合わない」
 ついついそんなことを言ってしまった。すると尾崎はムキになって振り返る。
「法律あってこその社会だろ。やっといて損はない」
「尾崎が言うと法に触れずに悪事するためーって聞こえる」
 私は声を立てて笑った。
 意地悪で傲慢で強引な尾崎。
 でもね、あなたのそんな子供っぽいギャップを見せられると、私はあなたに溺れてしまう。

 視界に入ったものに、思わず立ち止まってしまった。手を繋いでいたため、尾崎も立ち止まらざるを得ない。
「食いたいのか?」
「見つけちゃうと、食べたい」
 間髪入れずに答える。目の前にあるりんご飴に今の私の心は奪われているんだから。買ってくるねと言おうとしたら、尾崎の手が私から離れる。
 ――私の中で、血の気がひいた。
「これでいいだろ」
 尾崎は小さい方のりんご飴を指差す。私が頷くのを確認したら二本買っていた。
「ひとまず人が少ないところ行って食うぞ」
 再び私の右手は尾崎に囚われる。

 どうしよう。この手を離さないでと叫びたい。

4.本気じゃないなら、この心には触れさせない

 二月十四日、バレンタイン。私はリビングのテーブルの上に置かれた小さな箱を手に取った。この中には昨日の夜作ったチョコレートが入っている。去年も一昨年も作ってしまったチョコレート。一度も渡していない、チョコレート。
 紺の包装紙を広げて、チョコレートの箱を包む。丁寧に。けれど水色のリボンを結ぼうとしたところで馬鹿らしくなった。渡しはしないのに、ラッピングする自分に嫌気がさす。
 私はテーブルの上に包装だけされたチョコレートを投げ出して、テレビをつけた。そして床に新聞を広げる。一通り新聞に目を通したら、勉強しよう。
 そう決めてから五分もしないうちにチャイムがなった。
「はい、どちらさまでしょうか」
『俺。開けて』
 受話器を持つ手が震えた。
「えええ!」
 なんで尾崎!? 私は混乱したまま玄関に出る。あ、格好は大丈夫かな。寝癖ついてないかな。でも、確認してる余裕がない。
「どうしたの尾崎」
 玄関を開けると制服姿の尾崎がいた。
「その格好してるってことは、今日学校に来る気はなかったんだな」
 自由登校だから、別にいかなくても問題ないのですが。
「え、なんか用事でもあった?」
「あった」
 一体なんだというのだろう。そもそも、なんで尾崎は私の家を知っているの?
「今出られるか?」
「……留守番しないといけないから」
 とっさに嘘をついた。今家に誰もいないのは本当だけど、留守番をしなきゃいけないわけじゃない。実際、夕方には近くのスーパーに買い物に行く予定。
「そう、じゃあ上がらせてもらうよ」
 尾崎は無理やり玄関に押し入ってきた。
「ま、待って」
 しかも靴を脱いで勝手に上がる。
「どこに行けばいい」
「まっすぐ、リビング」
 そのくせ嫌に冷静に聞いてくる。人の家に勝手に入って、「どこに行けばいい」とはなんて傲慢な。自分の部屋にはいれたくない一心で、反射的にリビングに通してしまった自分が恨めしい。
「なんの用?」
 新聞は広げたままだし、恥ずかしい。
「バレンタインのチョコをもらいに来た」
 ……ああ! テーブルの上に包みかけのチョコレート出しっぱなし! 隠さなくちゃ。
「なに言ってるの。ないよそんなもの! 第一なんで尾崎に上げなくちゃ駄目なのよ!」
 じりじりと足をすすめて尾崎の目からテーブルを隠す。
「あれ、チョコじゃないの?」
 隠す前に見つけられてしまった。
「あれは尾崎にあげるものじゃない!」
 ばれてしまっては仕方がないが、それでもチョコレートは背後に隠す。
「じゃあ、誰にあげるの?」
 恥ずかしさでいっぱいの私は、声のトーンが落ちたことに気づけなかった。
「いつも勉強教えてくれる人よ!」
 とっさに、毎年義理チョコを渡しているいとこにあげることにした。
「……ひーくん?」
 皮肉な笑顔の尾崎が、私のいとこのことを口にした。
「ひーくんを知ってるの?」
 近くに住んでいるいとこのひーくん。二つ年上。私と尾崎が通っていた塾長の息子でもあるひーくん。でも、私達が通っていた頃はひーくんは塾にいなかったから、知らないはずだけど。私は最近、ひーくんに勉強を見てもらってる。私の成績がいいのは私の努力とひーくんのおかげよ。息抜きによく映画に連れてってくれる大好きなひーくん。
「俺にはくれないのに、そいつにはあげるの?」
 ここでやっと尾崎がおかしいことに気がついた。いつもとまとう空気が違う。私を射殺しそうな視線を向けてくる。恐怖に身がすくんだ。
「お、お世話になってるからそのお礼」
 声はかすれてしまう。どうしてだろう。尾崎が怖い。
「俺、お前のこと好きだって言ったよね。川野は俺のことどう思ってんの?」
 ゆっくり近づいてきた尾崎から逃げることもできないで、顔を両手で挟まれた。そのまま上を向かされる。怒りにきらめく尾崎の瞳と目が合った。
 ――まぶたにキスが落ちる。
 そして尾崎の唇は私の顔を辿って唇に辿りつく。あの日以外、尾崎はキスなんてしなかった。なのに今、尾崎の唇は私の唇を捉える。あの日のキスは優しかった。なのに今、尾崎のキスは強引で荒々しい。
 嫌だ。ちがう、こんなの!
 抵抗したら床に押し倒された。そして何度もキスを繰り返される。やっと離れたかと思うと、尾崎の唇は私の首を通って鎖骨に下りた。ぞわりとする。
「やめて」
 お願いだから。
「やめて、本気じゃないくせに触れないで」
 涙が溢れた。尾崎はやっと少し体を離して私の顔を覗き込む。鋭い瞳。
「本気じゃないなら、私の心に触れさせない」
 触れさせない。遊びでこの心をあげない。大好きな人。大嫌いな人。お願いだから私を溺れさせないで。

 本気じゃないなら、この心には触れさせない。
 尾崎への想いは消し去るから。

 怒りに満ちた尾崎の瞳。拒絶に怒っているの? あなたの遊びが思い通りにいかないことに怒っているの? 思い通りに動かない私に怒っているの?
 ふいに尾崎が私の上からどいた。私はぼんやりと尾崎を見つめる。
「これ、もらってくから」
 テーブルの上のチョコレート。今は尾崎の手の中にあるチョコレート。私は何も言う気にはなれなくて尾崎が持っていくのを黙って見ていた。
「代わりにこれあげる」
 放り投げられた私のチョコレートよりも小さな箱を反射的に受け取る。
「誕生日おめでとう」

 そして尾崎はこの家から出て行った。

5.そして私は甘い毒に溺れる

 卒業式。私は少し泣いてしまった。確かに高校生活はそれなりに楽しかったし、友達と離れるのも寂しい。だけど私が泣いてしまった最大の理由は尾崎だ。これほど悔しいことがあるだろうか。
 私は尾崎への想いを今度こそ消し去ろうと心に誓った。誓った次の瞬間に、尾崎は私の心をあっさり乱した。たった一つの言葉で、私の決意を跡形もなく溶かしてしまった。
 二月十四日は私の誕生日だ。誰からか聞きだしたんだろうけど、私の家にやってきた尾崎は勝手に家に上がりこみ、無理やり私にキスをした。心の底から嫌気がさした。こんな恋心はいらないと思った。なのに奴は、「誕生日おめでとう」の言葉と小さなプレゼント一つを残して去っていった。
 プレゼントは指輪。シルバーのリングに赤い石がはめ込まれたシンプルなもの。これで私を捉えようとでもいうの? 捨てようとさえ思った指輪は、結局はお守りの中に入っている。初詣で買ったお守りの中に。
 試験の時にそれをしっかりと内ポケットに忍ばせた。いや、いつだって身につけていた。今度こそこの想いを消したかったのに、尾崎は私を捉えて離さない。

 それから一度も会わなかったわけじゃない。前はしつこくあった電話やメールは一切止んだけど、たまに自由登校の学校で尾崎に会うと今まで通りなれなれしい態度で接してくる。みんなの前では今まで通り。
 どうしていいかわからなかった。早く卒業してしまいたかった。尾崎と関わることなんて全て断ち切ってしまいたかった。そうすれば、この動揺も治まって、尾崎への想いを消せると信じたかった。

「水樹! 尾崎を探しに行こうよ」
 紀子が私の腕を引っ張った。
「いいよ別に。尾崎だって友達としゃべってるだろうし」
 みんな写真を撮ったり談笑したり。試験はまだ終わっていないというのに、今日はみんな明るい。
「なに言ってんのよ。今日が最後なんだよ? 尾崎と一緒に帰ればいいじゃない」
 この子も私と尾崎を一生懸命くっつけたがっている一人だ。お願いだから、尾崎にとっては遊びでしかないことに気がついてほしい。
「あー尾崎発見!」
 抵抗むなしく紀子は尾崎を発見した。友達と笑っていた尾崎と、目が合った。
「今日は最後なんだから、あんたが水樹と帰りなさい」
 紀子も尾崎の友達も盛り上がって、私達は一緒に帰る以外逃げ場がなくなってしまった。
「じゃあ、帰るか川野」
 諦めて尾崎の隣に並ぶ。尾崎は一声友達に別れを告げてから私と一緒に歩き出した。……気まずい。私は下を向いて早く家に着くことを願った。
「この前あげた指輪、しないのか」
 尾崎が唐突にそんなことをいう。私は驚いて尾崎の顔を見上げ、今も内ポケットにあるお守り袋の中の指輪を思いだして、恥ずかしくなって下を向く。
「……そういえば、お前の親って離婚したのに苗字変わらないのか?」
 なにを今更。でも、ほっとした。この気まずい沈黙は嫌だから。
「苗字、変わったよ」
 するとムッとしたように尾崎が私を見下ろす。
「中学の時のアルバムみたけど、『川野水樹』って書いてたぞ」
「違うよ。『河野水樹』って書いてたの。三本線の川じゃなくて、さんずいを使う河」
「……お前の親父とお袋って、漢字が違っただけで苗字一緒なのか」
「うん」
 こればっかりは尾崎を責められないな。高校からの知り合いが中学の卒業アルバムを見たら、誤植かと思うか先入観で『河』を『川』と認識してしまうだろうし。

「川野」
 妙にはっきりとした口調で、尾崎は私の名前を呼んだ。昔からそうだ。尾崎は、真剣なときには『川野』という。普段は『川野ちゃん』。私をからかって溺れさせる時は『水樹』。
 立ち止まった尾崎に、私も立ち止まって振り返る。
「本気になってやるよ」
 貫く瞳。
「逃がさないから、覚悟しろよ」
 晴れがましい笑顔で尾崎は言った。

 甘い毒。
 夏休み前のあのキスが甘い毒だと思ってた。けど、違う。
 あなたのその瞳。あなたのその笑顔。あなたのその言葉。あなたのその声。
 甘い毒はあなたの全て。

 ――そして私は蝕まれる。


 『甘い遊戯』の川野視点です。実は、当初の予定と川野ちゃんの行動が変わってしまいました。最後に、きっぱりと尾崎のことを切り捨てるはずだったんですが……最後の最後に尾崎くんのプレゼント攻撃で、川野ちゃんは抜け出せなくなっちゃいました。残念。
 この小説はチェンジングマイライフの『Crazy For You』という歌ををベースにしています。「あの日ふざけたKissも 遊びだとはわかっているのに いっそ君にハマってゆくばかり」「勘違いしないで 本気じゃないなら この胸に触れさせはしない」という歌詞の部分を。なのに、ほんとうに尾崎に狂ってしまったのです。まあ、タイトルを『甘い毒』にした時点で、こうなることは予想されたのですが。
 この話もお題で書こうとしたんですが、気に入ったのがなかったので話に合わせて小題をつけました。『甘い遊戯』と連作なのに、こっちは短編にしているのはそれが理由。

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