掲載日:2006-08-28(2010-11-06、改稿)
知菜は俺を愛してる。俺は知菜を憎んでる。
『動揺すらもあなたへの愛』の聡視点。
お題配布元:『胸にピストル(閉鎖済み)』より「選択系お題」(一人称・口調を一部変更)
知菜は笑う。なんのわだかまりもなく笑う。
その笑顔に何度殺意を覚えただろう。
「花火は、あまり好きじゃないからいいの」
サークルの花火大会を断って知菜と二人で遊んだ帰り道、知菜はじっと花火に興じる高校生達を見ていた。
「やっぱり花火したかった?」
そうとすまなさそうに問いかけると、「あまり好きじゃない」と笑う。
そりゃそうだろう。苦い思い出のある花火を好きになれるわけないよな。
胸のうちで嘲り、笑顔で終わったばかりの前期試験に話題を変えてみた。
「聡くんとあんまり会えなかったのは寂しかったけど」
そんな可愛いことを言ってくれる。
「俺もだよ」
そんな風に言って抱き締めれば、知菜は縋るように俺の服を握り締めた。
自然と笑みが深まるのがわかる。
もっと俺を好きになればいい。
絡めとられて、離れられないくらいに。
そのためなら俺は、何度でも君に甘い言葉と微笑を贈るよ。
――「ちょっと、危ないじゃない!」
風向きが変わったのか、近くで花火をしている高校生の声が鮮明に届いた。
――「うわ、ごめん。後ろにいるって気がつかなかった」
――「声かけようとしたら花火持ったまんま急に振り返るんだもん。火傷するとこだったよ!」
――「だからごめんって。おわびにジュースおごるから」
――「あ、ホント? じゃあカフェオレね」
急に憎らしさが溢れた。柔らかい体をさらに強く抱き締める。
このまま絞め殺してしまえればいいのに。
君を愛しく想うよ。
憎らしいから愛しい。
殺したいほど愛しい。
復讐したいから愛してる。
一つ下の妹の楓が失明したのは俺が高校一年の時だ。
友達と花火をしている時に、風向きが変わって火花が楓の方に舞ってきたらしい。
顔や腕に火傷を作り、服や髪も少し焦げた。なにより火花で網膜を傷つけて失明した。
でも俺は信じない。
火花が風で舞ってきたにしては降りかかった火が多かったのではないか?
一緒にいた友達は蒼白な顔で立ち尽くし、楓があんなことになった理由を口にしてからそれを肯定しただけらしい。全く口を開かなかった子もいたという。
そもそもあそこにあった花火は、みんな楓が持って行ったものだった。
事故の起こる前の日、部活帰りに楓と会った。たくさんの花火の入った袋に驚いて「それ、どうしたんだ」と聞くと、「明日みんなで花火をするの」と答えた楓。
「みんなでするのにお前一人がなんで買うんだ」
「突然決まったの。みんな塾で忙しいから私がまとめて買うことになったのよ。明日みんなで割り勘するから安心して」
そんなことを言っていたが、本当に割り勘したかも怪しい。
後から考えると、あの頃の楓はお金に困っていた。あの花火以外にも買いに行かされ、自腹で払ったものがたくさんあるのだろう。
そう、楓はいじめられていたんだ。
決して楓は認めなかったけど、中学にいる後輩に探りを入れさせるとパシリにされていたことは確からしい。だったら、楓の失明もいじめがエスカレートした結果なのかもしれない。
俺は再び楓に問いかけた。
「怪我をさせたのは誰?」
失明してから一時期はだいぶ荒れていた楓だが、最近はおとなしく点字の勉強をしていた。
左の目元の火傷はいまだ生々しく、いつも真っ白な眼帯をつけている。失明した楓自身は火傷の状態を知ることはできないが、親や周りの反応を和らげるためにつけているらしかった。腕の火傷も夏でも長袖を着て隠していた。
「事故よ」
そっけなく言い返される。
「怪我をさせたのは朝倉知菜?」
俺は全く口を開かなかったという少女の名前を調べていた。鎌をかけてみようと思ったのだ。すると見事に点字をなぞっていた楓の指がびくりとはねた。
「朝倉知菜なんだね」
「ちがう!」
手探りで俺の服を掴んだ楓は焦点の合わない目で俺を見る。
「知菜ちゃんはなにもしてない。あれは事故よ!」
必死に喰らいつかれて妙にイライラした。
「なんでお前をこんなにした奴を庇うんだよ!」
俺もつい怒鳴ってしまう。楓は一瞬身をすくませ、次に縋るように泣いた。
「ちがう。ちがうちがうちがうちがうちがう」
自分に言い聞かせるように否定する。
「楓」
落ち着かせようと楓の頭に手を乗せた時、小さく呟かれた言葉が届いた。
「知菜ちゃんを憎んだら私、本当にダメになる」
それきり二度と、楓はこのことについて口を開かなかったし、俺も言わなかった。
楓は朝倉知菜を憎んでる。
けれど、憎めば憎むほど自分が壊れていくことを知っているのだ。
楓は優しい。楓は人を憎み続けるほど強くない。
だから、全てを押し込めて笑う。
じゃあ俺が憎もう。
俺が朝倉知菜を憎もう。
楓が耐えられない憎しみを、俺が背負おう。
――そして、俺は知菜に出会った。
「誕生日おめでとう、聡くん」
そう言って差し出されたプレゼントに、俺は今日が自分の誕生日であることを知った。知菜に誕生日を教えたことはなかったけど、高校時代から俺のことが好きだったというからそのくらいは調査済みなのだろう。
「そういえば今日って俺の誕生日なんだな。忘れてたよ」
開けていいかと問いかけると、知菜が頷いたのでさっそく包装を解きはじめている。薄いブルーの包装紙から出てきたのは出てきたのは画集だ。
「ミュシャだ」
アルフォンス・ミュシャの画集だった。
ミュシャと言えば、この前に知菜に連れられて展覧会に行った。俺を追って同じ大学、同じ美術サークルに入っただけで絵への興味が強いわけではなかったから、自分からそういうものに誘ってくるとは思わず驚いたことをよく覚えている。
その時、予算的に諦めていた画集がこれだったけど、知菜には何も言わなかった。それでもこれがここにあるのなら、察してくれていたんだろう。
「これ、高かっただろ。いいのか?」
不覚にも本気でうれしい。
「聡くんの部屋に置いておけば私も好きな時に見れるからいいよ。私も気にいってるから」
ずきりと胸が痛んだ。それを隠して何事もなかったかのようにケーキでも買いに行こうかと笑いかける。知菜は笑顔でチョコレートケーキが食べたいと言った。
何も知らない君が哀れだ。
俺はいつだって、君からもらったものは捨てるか売るか仕舞い込むかしてしまうというのに。
この画集も本当にうれしいけれど、君の目の届かないところに隠してしまおう。さすがに捨てられないし、俺も見たい。だけど、知菜が見ることはできない。見せてくれといった時は実家に置いてきてしまったとでも言おうか。――楓のいる、和歌山の父の実家に。
君に愛してるなんて言葉はあげない。
突きつけるのは憎悪。
今日は知菜とのデートの日だ。
でも、俺は行かない。何時間でも待てばいい。
待ち合わせ場所とは全く違うところに向かった俺は、目に付いた映画館に入ってコーラを片手に話題の映画を観る。ちょうど約束の時間に上映開始というのも、皮肉が利いてていい。
こんな風に故意に約束を破ることは、これまでも何度かある。愛想を尽かされてしまったら意味がないから加減はするけれど、なるべくダメージを与えやすい時を選んでいた。
たとえば知菜が楽しみにしていたライブの日。たとえば誕生日や記念日。たとえば天気がひどく悪い時。
ちなみに今日は特別な日ではない。ただ、気温がかなり低くてそのうち雪でも降りそうな天気だ。この映画館に来るまでだって寒くて凍えそうだった。
わざわざ公園で待ち合わせをしたから、さすがの知菜もすぐに音を上げて帰るか俺の家に行くだろう。
時計を見れば二時。もうとっくに帰ったはずだ。
目の前に映し出される映像をほとんどスルーしていたことに気がついて、改めて意識をスクリーンに向けた。
二時十五分。
映像が頭に入らない。
二時二十五分。
つい壁の時計に目が行ってしまう。
二時三十分。
もういっそう寝てしまおうか。
俯いて目をつぶろうとした時、ふいに床に落ちている手袋が目に入った。隣に座っている子のものだろうか。薄いピンクで、手首に来るところに白いふわふわしたものがついてる手袋。知菜が持っているものと、よく似ている手袋。
そういえば、この前俺の家に手袋を忘れていかなかっただろうか。思い出すと同時に、冷えすぎて赤くなった知菜の指先がちらついた。
――イライラする。
舌打ちをすると、席を立つ。
通路側にいてよかったと思いながらも、派手なアクションシーンで盛り上がっている最中のスクリーンに背を向けて、ほとんど走るように映画館を飛び出した。
俺も甘い。知菜の事なんて放っておけばいい。風邪をひいたから、どうしたというんだ。
***
悪態をつきながら三時には公園にたどり着いた。
耳が切れそうなほどの冷たい空気なのに、走ったおかげでコートを脱ぎたくなるくらいに熱い。最初はつけていたマフラーも、いつの間にか鞄につっこんでいた。
肩で息をしながら、公園で待ち合わせする時はいつも知菜が座るベンチへと急ぐ。
――誰もいない。
ほら、もうとっくに知菜は帰ったんだ。当たり前だよな。もう三時だし、なによりこの寒空だ。待っているほうがありえない。みっともなく心配した俺は本当に馬鹿だ。
携帯の電源は映画館に入った時に切ったままだし、夜までつける気もない。家に帰ったらもしかしたら知菜が待っているかもしれないから、外で時間を潰したい。どこで時間を潰そう。
どんよりとした空に、雪が降りそうだなと思いながら大きく息を吐いた。
「聡……くん?」
背後から声がした。振り返るとやっぱり知菜だ。
茶色いコートに白いマフラー。顔は寒さで赤くなっていて、手はコートのポケットに突っ込まれている。驚きに見開かれた目は、俺が来ることが意外だったとでも言うかのようだ。
「どこに行ってたんだ」
思わず出てきた言葉がそれだ。ここは申し訳なさそうに謝罪をして優しくしたほうが後々いいだろうに、刺々しい物言いだなんて呆れる。
「トイレに……」
知菜は驚いたままの表情で立ち尽くしている。そんな彼女の頬に触れてみると、本当に冷たかった。
「どうしてもっと早く帰らないんだ」
声に苛立ちがにじむ。
「だって、」
何か言いかけた知菜は言葉を切った。そして改めて「なんとなく帰るタイミングを逃したの」と笑った。
思わず抱き締めた。
――愛しく、なった。
***
今俺の腕の中には眠る知菜がいる。
あの後部屋に知菜を引っ張ってきて、熱い風呂に入れた。そして話をしたり、夕食を食べたりした後、二人でベットに入った。
知菜は眠る。俺の腕の中で。無防備に。
俺は知菜の寝顔をじっと見つめた。憎い相手をじっと見つめた。
そしてそのまぶたを指でなぞる。楓は君のせいで光を失ったのに、君の瞳は俺を見つめる。
高校時代、俺は君を知っていた。けど君が俺を見ていたなんて思いもしなかったよ。
俺は二年の時は生徒会で書記をしていたし三年では会長をしていたから、大学で再会してから俺を知っていると言っても不思議には思わなかった。むしろ、高校時代たまに君と目が合うと、君はすぐにそらしていたから、君は俺が楓の兄だと知っていると思っていた。
けれどサークルで何度か話すうちに、知菜は俺のことが好きなんだと気がついた。高校時代に目が合ってそらされたのも、恥ずかしさからなんだろう。
朝倉知菜が俺を好き?
これほど笑える冗談はない。
失明させた奴の兄貴を好きになるなんてな。一生報われない恋でもすればいいと嘲った。
しかしちょっと考えてみると、都合がいいことに気がつく。
知菜が俺を好きになればなるほど、俺が楓の兄だと知った時のショックは大きいだろう。付き合っている間も少しづつ傷つけて苦しめればいい。
そうと決まれば俺はすぐに知菜に告白した。知菜は信じられないといった表情で俺を見て、泣いて喜んだ。罪悪感はない。いつか絶望に泣く知菜を見てみたい。
俺は執拗に眠る知菜のまぶたをなでる。
この瞳を潰してしまおうか?
ぱちぱちと線香花火が咲き乱れる。
俺達は川べりで花火をしていた。楓が光を失ったその場所で。知菜は以外にもあっさりと俺の誘いに乗って花火を持ってきた。
「知菜は線香花火を持たせるのがうまいね」
これは本音だ。
ぱちぱちと線香花火はなおも咲き乱れる。
俺は別の花火を手に取り、火をつけた。先端から火花が噴出する。
「花火って、火傷しそうで怖いよね。だから知菜は花火があまり好きじゃないの?」
知菜が花火を好きじゃないと言ったのはちょうど一年前。好きじゃないと覚えていたのに、俺は誘った。この場所へ。
これが最後だ。だからこそ、この場所で知菜と花火をしたかった。
「火傷ってね、痕が消えないんだ。ずっと」
楓の顔と腕の火傷は今も残っている。知菜にも火傷の痕を残してやりたい。
そんな風に考えた時、知菜が火花の中に右手を突っ込んできた。
一瞬なにが起こったかわからなかった。
理解した途端、花火を放り出して知菜を川まで引っ張り、乱暴に右手を水の中に突っ込む。
「馬鹿……! なにを考えてるんだ!」
手の甲が赤い。氷で早く冷やさなければ。
「火傷の痕は消えないって言ったばかりだろ!」
近くの家に行って氷をもらってこよう。
「――聡くんは人に花火を向けるなんて出来そうじゃなかったから」
嫌にはっきりその言葉は聞こえた。
「だから最後の花火は私からこうしないとな、って思ったの」
それはつまり「花火で火傷しないといけない」と思ったということか。
知菜は、俺が楓の兄だと知っているのか。鈴木という、ありふれた苗字の俺達が。
「知って、いたのか」
かすれてしまった問いかけに、知菜は微笑んだ。とても、泣きそうな顔で。
そういえばこの前のデートの時、CDショップでかかっていたショパンの『雨だれ前奏曲』を好きだと言った。この言葉を俺は憎悪した。
楓は小さい頃からピアノを弾くのも聴くのも大好きだった。それは失明してからも変わらない。いや、前以上に執拗にピアノにこだわった。
楽譜も見れず、鍵盤さえ見えない楓の演奏はメチャクチャで、楓は何度ももどかしさに乱暴に鍵盤を叩いた。けれどそのうち、つたないながらもなんとか曲を奏でられるようになって、ますます熱心にピアノに喰らいつく。
俺が、楓と両親がいる祖父母の家に行くと、楓はかなりの確率でピアノに向かっていた。CDを聞いていることもある。
そんな風に楓が好きなピアノ。それを、知菜が好きだと言った。
俺が「クラシック、好きなの?」と聞くと、妙に上ずった声で勉強する時とかにたまに聞くだけだと早口に捲くし立てた。
知菜が楓の兄だと知っていたなら、あそこで慌てて言い繕った理由が見える。知菜は俺に気がついていることを隠したかったのだ。
あの後、苛立ちのままに「俺の妹はクラシックが好きで、毎日のようにピアノを弾いているよ」と言うと、不自然な間をあけてから「聡くんには妹がいるんだね」と笑った。
なんと白々しい言葉だろか。
知菜は知っていたんだ。知っていて、隠していたんだ。
俺の妹は君がよく知っている。君がめちゃめちゃにした子だよ!
そうとわかっていても、あの会話の流れで「妹がいるんだね」と言わなければ不自然だ。だから、無理やり知菜は口にしたんだろう。
なんて、――なんて滑稽なんだ!
眩暈がするほどの衝撃を受ける中、知菜はさらに言葉を重ねてきた。
「聡くん、もうすぐドイツに留学しちゃうんだってね」
どうしてそれも知っているんだ。知菜には話していない。今日ここで、全てを晒して徹底的に叩きのめそうとしていたから、何も伝えていない。
「最高の復讐だよ。聡くんが私の前からいなくなること」
弱々しく知菜は言う。まっすぐ、俺を見て。
「ずっとずっと聡くんが思っている以上に、私は聡くんが好き」
ひたむきな想い。俺の憎しみにも、復讐のために付き合っているということすら知っていて、惜しみなく俺へ愛を捧げる。
「だから、聡くんがいなくなるのはたまらなく苦しい」
どうして君はそんなに俺を想うんだ?
俺は君に憎しみしか返せない。
「知菜は……」
何かを言おうとした。けれど、言葉は出てこなかった。
終わりへの始まり。
そのための花火。
けれど、新たにはじまったものはなんだろう。
ドイツに来て二ヶ月。知菜に会わなくなって三ヶ月。
俺は忙しい合間に、知菜のことばかり考えている自分に気がついた。
馬鹿げてる。情でも移ったか? いや、知菜への憎しみだけを見て過ごした日々が長かっただけだ。
ドイツでの生活はまだ慣れないこともあるけど、ドイツ語は来る前にちゃんとやってきたし、もどかしさはあっても不都合はない。周りの奴もおせっかいだけどいい奴らで、俺は楽しくやっている。
知菜のことなんてどうでもいい。
知菜だって言ってたじゃないか。俺が目の前からいなくなることが一番の復讐だと。
知菜は俺を愛してる。
だからこそ、俺は前から考えていた留学を復讐に利用しようと考えた。
なのに、気持ちは全く晴れない。
一番の復讐だと俺は思った。
一番の復讐だと知菜が言った。
だからだろうか。知菜が自分で認めたから?
知菜に踊らされているように思えるのか?
不愉快だった。
傷つけてボロボロにしてしまいたい。
絶望に泣いてほしい。
知菜は俺が楓の兄だと知っていても、俺を愛した。
それほどに俺を愛してくれた知菜。
だけどいつかはその想いも過去に埋もれる。
だめだ。それじゃだめだ。
知菜はもっとずっと俺を愛して、囚われ続けなくちゃいけない。
楓のことも、俺のことも、過去なんかにはさせない。
俺は知菜に手紙を書く。
冬休みにはドイツにおいでとだけ書いて、投函する。
白い息を吐きながら郵便ポストに微笑を向けた。
これで知菜は再び囚われる。忘れることを許されない。
空を見上げて呟いた。
「知菜は俺だけを見てればいい」
蒼い空。君と同じ空の下。
囚われているのは、俺かもしれない。
お題配布元:『胸にピストル(閉鎖済み)』より「選択系お題」(一人称・口調を一部変更)